2014年7月23日水曜日

【コンサルタント】目指すべきゴールは「継続性・持続性」

問題
 もし、あなたが、何か状況を変えたい課題を抱えているとしたら、まず、最初に変えるべきは環境である。○か×か?

 答えは「×」。正解は「自分」です。
 なぜなら、周囲の変化を求めたら限界がないからです。そして、他人を変えることほど難しいことはありません。何かを変えたいと思うのであれば、一番、確実で手っ取り早いのは「自分」を変えることです。では、何を変えればいいのか?ということですが、それは、「考え方」です。

 寺山修司は、ある本の中で、「オレは不幸なオンナが嫌いだ」と言っていました。不幸なオンナは、同じ結果を繰り返すからだそうです。なぜか、それは同じ行動をするからです。なぜか、それは同じ考え方をするからです。同じ考え方をしたら、同じ行動をするし、同じ結果になる、確かにそう思いました。

 私自身、この1年程、自分の「考え方」について分析してきました。そこでわかったことがあります。

 私の仕事における最も大切なこと、それは「持続性・継続性」でした。それを最優先に考えます。正しいことは続きます。つまり、先の不幸なオンナは嫌いだ、の逆バージョンです。不幸なオンナが負のスパイラルに陥っているとすると、幸せなオンナは正のスパイラルの中にいると言えます。それは正しい思考方法だからです。

 もう少し、掘り下げます。
 
 どんなプロジェクトでも結構です。そこに、続くとか、続ける意外の正義があるでしょうか?「短期的に儲ける」というのも考え方の1つですが、コミュニティをベースにしている活動だったり、企業活動で言うなら、「継続」を最優先に考えるべきだと思います。
 物事は頑張って続けるのではなく、良い取り組みで良い体制であれば、物事は勝手に続くのです。その状態こそが正義です。楽しいから続けたい、で良いのです。


 さて、継続性や持続性をゴールに見ないと、どんなことが起きるか、考えてみましょう。不幸なオンナ状態とは何か、ですね。持続性や継続性の結果、長期的な成果を得られるとすると、その逆は、短期的な成果を求めることになります。


 長期的な成果を得るには、関わる方々の主体性がカギを握ります。しかし、短期的な成果であれば、言われたことを実行する、だけで成果を残すことができます。なので、長期的な成果には主体性が生まれ、短期的な成果は主体性を生まない、と言っても良いでしょう。


 主体性がある状態とはどんな状況でしょうか?良いかれば、自分のアタマで考える、ということになります。考えるためには何が必要か、それは土壌です。何かを考える時には、ゴールを設定し、要件を整理して、それらをメンバーと共有するところから始めます。

 その段階で、要件整理、課題発見、情報共有、アイデア出し、を先輩から教わります。見て覚えることもできます。つまり、段階的なステップを1つずつ登って行く事で、自然と正しい思考が身に付くわけです。

 しかし、短期的な成果を求める場合、そんなことは全部「リーダー」みたいな人がやります。結果、若手はいつになっても、思考方法が育たない。思考方法が育たないばかりか、表面的なやり方のみが伝わる。そして、不幸なことに、このやり方こそが仕事だと勘違いし、仕事を教える=やり方を教える、となっているです。

 なので、新人が、なんでこうやるんですか?と質問をすると、以前からそうだった、うちではそうなんだ、という返答が先輩から返ってくるわけです。


 こんなもの、世の中が変わって行く中では、陳腐化するに決まってます。変化に適応できない組織は、こうやって生まれていくのです。それこそ、持続性・継続性とは真逆の結果を伴ってしまうのです。

2014年7月10日木曜日

【コンサルタント】主体性のデザイン

思い立ったが吉日、コンテクスト・プランニングというブログを始めてみました。

コンテクスト・プランニング コンテクスト思考で課題解決!
  http://ovod.hatenablog.jp

そちらのブログには、コンテクスト・プランナーという肩書きで投稿してます。ここは4ヶ月くらい悩んだんですが、まだしっくり来てません。ただ、何もないと「コンサルタント」みたいなことになるので、それだけ避けたいという思いでした(苦笑。

コンテクスト思考とは、
①「文脈の観察」
②「キーワードの抽出」
③「キーワードの整理」
④「キーワードの因果関係」
⑤「プランニング」
⑥「アクション」
⑦「チェック」
⑧「修正」(④、場合によっては、③から見直す)
の要素からなります。

所謂、PDCAサイクルのAが先に来るパターンです。
http://www1.gifu-u.ac.jp/~noharah/class/pr/4.files/frame.htm
こちらにもありますが、恐らくこの講義内容全体のもとネタは、こちらではないかと....。
http://www.amazon.co.jp/広報・PR概論―PRプランナー資格認定制度1次試験対応テキスト-日本パブリックリレーションズ協会/dp/4496046741
で、大本のネタは、こちらです。
http://www.amazon.co.jp/体系-パブリック・リレーションズ-スコット・M・カトリップ/dp/489471647X

これは、最初に計画ありきではなく、最初にヒアリング/インタビューありき、という考えです。このプロセスを行わない計画は、独りよがりになってしまい、結果、それを支持する人としない人にコミュニティを分断することになります。

5W1Hで一番大切で無視してはいけないのはWhyであり、さらに、それを「共有」することがとても大切なのです。「なぜ、するのか?」です。プランニングの土台はココにあり、なぜの部分をしっかり丁寧に積み上げて行くことが、持続的な活動に繋がることだと確信しています。

動機が共有でき、共感を得られたら、その活動は、さらなる広がりを持ちます。そのためには、上記のステップ通りに、一つずつ、皆で階段を上がっていく必要があるのです。

現在、eDoというプロジェクトで、この共有を丁寧に積み上げています。それを行っていくことで、不明瞭だった企業の強みが見えたり、個々の強みが見えたり、それらを関係させることで新しい可能性を感じられたり、実に、充実感のある歩みを体験するに至りました。1年程かけて進めてきた開発プロジェクトですが、今後も途切れることなく、続けられるのではないかという手応えを感じています。

なぜそうなったかというと、コンテクスト・プランニングの手法によって、主体性をデザインしたからなんです。以前は「主体性は与えられるものではない」と考えていましたが、今は違います。主体性は、「How」でデザインできる、ということがわかりました。
つまり、「どうやるか」のプランニングに紐づくものです。主体性を持ったメンバーが集まる取り組みは、厚意を持ち寄る関係性よりも、強く、固い絆で結ばれることになるのです。

2014年6月30日月曜日

【閑話】日本代表が取るべき戦略について

ワールドカップでのグループリーグ敗退が決まり、様々なサイトで「分析」が流行っておりますねー。私も相乗りしちゃおうかと思っての投稿です。便乗ですが、アップ忘れました!下書きはあったんだけど...

さて、コンテクストプランナーという視点で、ワールドカップを捉えると、本当にハラタツノリです。ふがいない戦いっぷりが残念でなりません。生卵を投げる人の気持ちがわかります(笑。

問題というか、課題は多岐にわたりますので、いくつかの段階に切り分けていきたいと思います。で、戦略的に、何が間違っていたのか?と言われると「全部間違ってましたね」となるので「どうすればよかったのか?」をまとめていこうかと。

この内容は、選ばれた選手に向けて書いております。

【目標の設定】
どんなことをやるにも、目標は必要です。これがないとどこに向かっていいのかわからないですね。選手によって語る目標はいろいろでしたが、「成績」としての目標は、多くの人たちが期待するところなので、「優勝」って言っておいた方がよかったですね。
ここはリップサービスで結構、それでいいんです。その方が盛り上がりますから。ここでベスト8とか言われても「途中で負けるつもりなんだ」と思って興ざめです。

【ルートの設定】
さて、「目標はリップサービスで構わない」とお話しましたが、目標に向かったルートは設定しないとなりません。実は、今回のワールドカップの最大のポイントはココでした。
「優勝」を単純化すると、「点を取る」ことと「点を取られない」ことを「両立」させ「勝つ」ことを「続ける」ことで得られる「結果」と言えます。
つまり、「結果」は、「勝ち続ける」ことなので、「目の前の試合に勝つ」ことの積み重ねでのみ実現できるものです。「勝つこと」こそ、「やるべきこと」であり、「結果」は考えなくて良いのです。アタマの中から捨ててください。むしろ「やるべきこと」のみに集中するトレーニングが必要です。

よく選手が「次の試合に集中して」と言いますが、この言葉、どのような意図があるのですか?私は、本当に集中していたら、こんな表現はしないのではないか?と思います。集中している状態だとすると、「どう戦うか」の戦略がアタマの中をグルグル駆け巡っているはずです。そのイメージがない、または、準備が出来ていないからこそ、自分に言い聞かせているのではないかと感じるのです。

【戦略の設定】
続いて、肝心な戦略についてです。
「勝ち続ける」には、目の前の試合に「勝つ」ことが大切だと言いました。で、「勝つ」ためには、「点を取る」ことと「点を取られない」ことを「両立」させることとお話しました。そして、次にこれを切り離します。
「点を取る」はどう実現するかということで言えば、「早いパス回しで相手のディフェンスを切り崩して行く」という戦略はどう実現するのか、と考えてみましょう。
「早いパス回し」をどう実現するのでしょうか?動きながらであれば2名いれば十分です。3名になれば、さらにパスの出し先の選択肢が増えます。2名、3名どちらでもOKですが、「パスを回し」ながら、「外に逃げる」のか、「中央へと切り込んで行く」のか、動き回るのは、人がいないところなのか、ゴールに向かってなのか、選択肢はたくさんあります。その可能性を全部検証し、試してみたのでしょうか?それとも絞り込んだのでしょうか?

例えば、「パス回しは2名を基本にし、人がいない方向に流れながら背後の選手の飛び出しに合わせてパスを出す」くらいの戦略に絞り込みます。

という具合に「決める」必要があるのです。なぜなら、このように設定をすると、「3人目の存在が必要」であることを選手間で共有できるのです。つまり、「2名でパスを回せる状況」をどのような状態に定義し、その瞬間に後ろから飛び出す「3人目を誰がやるのか」ということが確認できます。
正直、どんな戦略に絞り込んだらいいかはわからないです。選手の方がそこはわかると思います。ですが、そのようにディティールを決め、それ以外の多くを切り捨てるとやるべきことが明確になります。どんな相手にも対応できるシンプルな戦略を探して、それに設定する必要があるのです。
同様に崩した後にどうやって「点を取る」か、どうやって「点を取られない」かを決めていきます。
所謂強豪国が強いのは「点を取るイメージ」の共有が瞬時に成されているからだと思います。でないとあんなに早い動きだしで、シンプルな数本のパスで得点することは難しいからです。

【戦術の設定】
これは場面、ロケーション、時間帯、試合を構成する要素を分解し、その組み合わせによって、どんな戦い方をするかをシミュレーションしておくことです。
「攻める」「守る」は、いずれも、「リードしている時」「リードされている時」「スコアレス(同点)の時」の3種類しかありません。組み合わせで言えば6種類です。
ここでのポイントですが、サッカーの勝敗は、何に影響されるかを考えることです。例えば、個人の能力に影響されるのか、普段プレイしているリーグの強さに影響されるのか、などを突き止めます。私自身は、上記の二つは少なからず勝敗を影響するものだと思っています。そうなると、戦術で6種類は多すぎます。せめて2〜3種類くらいに絞りたい。
①「リードされている時に攻める」
②「スコアレス(同点)の時に攻める」
③「リードしている時に守る」
この3つで良いでしょうね。そうすると、
④「リードされているときは守らない」
⑤「スコアレスの時には守らない」
⑥「リードしている時には攻めない」
以上を選択したことになります。具体的にどうするかというと後者の3つの場合は「考えない」ということです。忘れていいです。

と、このように、自分たちがやるべきことをチームで整理し、チームで選択し、そのプロセスをチームで共有することが大切なのです。そして、結果は考えない。目の前の1点を取ることのみを常に考える。点を取ったら取られない守り方をする。もし取られたら、「リードされている時に攻める」に切り替えるだけ。自分たちがやるべきことをもっとロジカルにシンプルにしてあげる必要がある、と思うのです。11人のイメージを揃える必要があるのです。


なぜ、そんなことを言うか、というと、先の「勝敗は何に影響されるか?」に関係します。他のチームに比べて、日本のチームは、成熟度が幼過ぎるのです。プロリーグが出来て20年の国のチームが、ヨーロッパ、南米のチームと戦うには、歴史がなさ過ぎるのです。歴史がない故に、それをカバーする戦略と戦術が必要であり、歴史がない故に、敵わない敵であることを十分に理解する必要があるんです。だから負けることは恥ずかしくないし、とにかく通じる戦術、戦略を一つでも多く獲得することが「勝ち」に繋がる。リップサービスで優勝目指す!と言いながら、緻密な計画を一つ一つ実行する。手応えを感じ、必要に応じて修正していく。

この大会では、強いチームというのは、高い次元での「イメージの共有」がなされていると感じた。得点のイメージ、ディフェンスのイメージ、パス回しのイメージ、だから、見事に機能する。これは経験と歴史に他ならないと思う。日本のチームも最終戦にはその兆しが見えたが、点を取られた現実という壁に対して、心が折れてしまう。「勝つ」つもりで望んだら、そんなことになるのは目に見えています。そうではなく、勝つために必要な「目の前の1点」に集中していたら、最後まで集中力は切れることはなかっただろう。

途中交代の香川の表情は、悲壮感たっぷりで、他のメンバーが戦っているにも関わらず、終わったような表情だった。それはチームとしてやるべきことを共有していない証拠でしかない。目の前の1点を取ることに本気で共有できていたら、ベンチに下がってもそのために出来ることを探したはずだ。

戦略と戦術の共有の仕方次第では、決勝リーグにて高成績を残すことも出来たと思う。だが、心の置き所、目標の設定方法、共有の方法含めて、様々なものを切り離して、やるべきことをシンプルに理解できるよう、メンタルをトレーニングする必要がある。情緒的な日本人には、本当に必要なトレーニングだと思う。自分で噛み付いたとしても当たっただけだと言えるタフさは、日本人にはない。それは良さでもあるが弱点でもある。弱点を補うのは、やるべきことをシンプルな事柄に落とし込んで、余分なことを考えないことだ。僕たちはこれをする、という具合にね。

周囲がなんて言おうと、戦うのは選手達だ。だからこそ、選手が選手を理解し、尊敬し、尊重し、という関係のチーム作りが必要だ。そしてその中で行われるコミュニケーションが重要だ。試合前に休息の1日は有効に使えなかったようだった。ちゃんとしたコミュニケーションができたら、日本のサッカーは、世界の歴史を変えられるくらいの独特のものになると思っている。コミュニケーションサッカー。ボールが納まった場所からスイッチオン。それを合図に全体が一気に動き出す。的確で短い数本のパスで相手ゴール前に突入。なんて試合を想像したいね。


2014年6月13日金曜日

【コンサルタント】鳥の目、虫の目。

今年度、ミラサポの専門家登録をし、本日、初めての派遣となりました。
新しい方とお会いするのは誠に刺激になりますね。

さて、企業の相談を受けていると感じることがあります。
例えば、AとBの2つの選択肢があり、Aが正解で、Bが不正解だとしましょう。

①ほぼ直感で正解を選べる人
②ほぼ直感で不正解を選ぶ人
③考えて不正解を選ぶ人
④考えて正解を選ぶ人
に分かれますね。

で、①「ほぼ直感で正解で選べる人」にとっては、
②や③のような不正解を選ぶ人たちの思考のプロセスが理解できない、
ということに気づきました。

だから、なぜ正解を選べるのか?、というコトに対して説明が出来ないんです。
一方で④のような方が社長だと事業は継続して伸びて行きますね。

私も当初は②でした。でも、④になれました。
で、わかったのが、結局、思考は技術だということです。
特に地方では、人材を活かす=成長させる、という姿勢が必要です。
無い物ねだりしてもしょうがないですからね。


もし事業に何か、違和感や危機感をお持ちの方がいらっしゃったら、
もう一度大局を静観してみることをオススメします。
全体を見て、細部に手を入れる。
それを繰り返して行くと、自ずと正解を選べるようになります。

私がお話させて頂く事の中に、鳥の目と虫の目ってのがあります。
鳥の目で全体、虫の目で細部を見る、ということです。
その方法については、また別の機会にお話したいと思います。

2014年6月10日火曜日

【コンサルタント】「あなたの問題解決」のためのメソッド(今後)

告白するけど、1年程前に起きたとある個人的な出来事によって、文脈を読む力が身に付いた。なんとも皮肉なことだが、これは前からずっと欲しかったものだ。

文脈を読み解くとは、どういうことかと言うと「こうしたら、こうなって、こうなるから、こうなるね」みたいな、因果関係のことである。

本来、人というのはシンプルだ。欲も目標も希望も努力もその人の中にしかなく、その人が関わりを持たずに生きているなら、その存在を考えなくてもいいし、複雑な状況は生まれない。だが、人は人と関わって生きている。

だからこそ、仲良くなって共存したり、好きなのに離れて寂しくなったり、仲良く無いのに一緒に居たり、争ってみたり、なんてことが起きる。「それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」と公安9課の草薙素子に言ってもらうといい。

で、多くの場合は、関わることによって生まれた「関係」を「複雑」に感じるものだ。自分の考えと一致しない場合、そこに軋轢が生まれるのは当然のことである。

だが、文脈=コンテクストを読み解けるようになると、ハラも立たない。世の中のことの多くが、「仕方ない」に変わる。そうなると、他人の成長や評価を気にすることの意味のないことに気づく。そうすると自然に、文脈の中にいる自分自身に集中した方が、どれだけのチャンスを生み出せるだろうか?と考えられるようになる。

世の中のほとんどは「仕方ない」ことだ。
仕方ないとは諦めているわけではない、あえて言うなら「寝かしておく」ということだ。

今、問題解決のためのメソッドをまとめている。
「製造業で新商品を作りたい」「会社の中がギスギスしている」「業績が落ちてきてしまったけど....」「プロジェクトが思うように進まない」など、コミュニティから組織、事業に至るまで、なんでもござれなメソッドであると自負している。

問題は、これをどう出して行くか。
つまり、自分自身が課題を抱えているという状況なのだ(笑。

先日、10年来の知人にお会いした。お酒を飲みながら涙してみたりして、知人から友人になったその日、この悩みを相談してみた。

「なんでもいけるなら、まずは具体例を出した方が良いよ」と言われた。

なるほど、そうだ。その人が言うことはいつでも正しかった。
僕のメソッドの中にも「主体性を持つためのつなぎ目のデザイン」というプロセスがあるのだが、まさにそれだ。

ということで、現在、具体例の設定に苦慮している。適当に選ぶと多分失敗するので(笑)、そこは心して考えることにした。このブログ上で展開するのであれば、やはりコミュニティFMをテーマにした方が良い気もするけど、さて、どうしたものか。

もう少し考えよう。

2014年5月30日金曜日

【Radio】成長と維持、持続性のカギとは? 実践編その1

どんなラジオ局にしたいか、ということを考える検討編に続き、今回から数回に渡って「実践編」をお送りして行きたいと思います。例えば、機材にはどんなものが必要なの?著作権ってどうするの?など、「実際どうなのよー??」という疑問について、よく聞かれるトピックを紹介していきたいと思います。

その前に、このまとめの意図についてお話しておきます。
これらは「成長するコミュニティFM」というテーマに基づいております。実際に運営に関わって感じたのが、如何に全体を見れるか、ということと、それを踏まえてディティールに拘れるか、という点でした。これはラジオ局に関係なく、あらゆる業種においても有効です。全体を見て、部分に拘る、という姿勢は、私が行っているコンサルタント業務でもお話をしていることです。
コミュニティFMの成長とは、ヒト、モノ、カネを持続的に増やしていることです。普通の企業の成長と変わりません。コミュニティFMでもそれが実践できるのですが、固定観念を無くして読んで頂けると、すーっと入ってくるように書いております。

さて、実践編その1ですが、根源的な問いです。会社としての成長と維持です。会社である以上、売上は右肩上がりでありたい、または、ずっと成長しないとしても、ある程度の水準で維持をしたい、と考えるのは自然なことです。しかし、本質的には広告業であるコミュニティFMにおいては、地域の経済状況と直結しますので、地域が丸ごと儲かる状況にもならない限りは、広告市場も大きくならないので、売上はどこかの段階で横ばいになってしまいます。

その前提を踏まえた上で、ラジオ局を作りたい、という時に、大きくわけて2つのことに取り組んで行く必要があります。ここではあえて分けて取り組むことをオススメしますが、その2つとは、周波数獲得とアンテナ設置、それと、運営体制の整備です。簡単に言えば、ハードの整備とソフトの整備と言えるでしょうか。

数年前に電波法が改正されました。
それによって出来るようになったのが、ハードとソフトを分離する、というやり方です。極端な話、アンテナを持つ会社と番組を作る会社が別でもいいよ、ということです。以前は、原則的に一体でないとダメでした。

なので、複数の地域にまたがって、アンテナと電波を持つハード専門の会社が生まれるかもしれません。基本的には、電波法の摘要は、電波の割当をもらったアンテナを整備する会社が対象になります。故に、アンテナや電波は持たずに、複数の放送局に放送料を支払いながら番組を放送する、という事業も可能になるわけです。その場合、それはイベント会社かもしれませんし、出版社かもしれません。そんなことも可能になったのです。

分離できることのメリットを考えるとコミュニティFMの運営方法が大きく変わっていくかもしれない、ということがよくわかります。

ハードとソフトが一体的に運営される場合を考えます。

地域のメディアがない状態でコミュニティFMが誕生したとします。そうすると、当初は様々な方が関わりだします。その期待値は、初年度の売上という数字でそのまま反映されるでしょう。しかし、数年すると売上が横ばいになります。その数字がその地域の「広告市場の限界」と言えます。

この限界とは、それ以上稼げない、ということではありません。正確に言うと「今の体制ではそれ以上稼げない」ということになります。つまり、写真1人で1000万円売り上げるとすると、社員3人なら3000万円、5人なら5000万円、ということになります。よって、会社として、それ以上の売上を求める場合には、①スタッフを入れて体制を強化する、②聴取率を上げて出稿率を上げる、③いっそのこと別の事業を行う、などの選択をする必要があります。

一方「それ以上稼がない」という選択肢もあります。少し矛盾しているかもしれませんが、維持こそ継続と考える方法です。これは運営に関わる支出を、固定経費、変動経費としてわけて考え、主にハードウェアの維持=固定経費を基準に、それを維持させるための運営を行う、ということになります。つまり、この場合、働くスタッフも入れ替わって行く方がいいかもしれません。若いスタッフを育てて、という考え方だと、売上が横ばいである以上、お給料をアップすることも難しいので、横ばいの給料でいいよ、という方を集めるか、それができないといずれ入れ替えることになります。なので、社員教育をしながらというのは難しいかもしれません。

基本的に、入ってくる以上に使わなければキャッシュフローに問題は起きません。会社の運営としてこれ以上シンプルな考え方はありません。ですが、実際に運営してみると、どうにもお金がかかってしまうのです。

これまでにも、いくつかのコミュニティFMの方々とお話をしてきましたが、最近、資本金1500万円、1000万円で整備を整えて開局したという放送局の方にお会いしました。イニシャルコストを抑えてスタートさせるのは、本当に大変なことですが、実に多くのノウハウが詰まっていることがわかりました。私自身が考える「成長するコミュニティFM」には欠かせません。イニシャルコストの大小は、ランニングコストにも直結してきます。

次回以降は、主に、運営の部分についてお話をしていきます。若干機材のことも入ってきますが、私自身は専門としていないので、機材に関しては個別にご相談頂ければと思います。

2014年5月26日月曜日

【閑話】マクドのポテトの17の原料が明らかに!だって。

http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11582746530.html#cbox

こういう記事って無条件に広がるからなんだかなぁと思います。

17の成分のうち、全部ではないですが、いくつかを調べてみると(だいたい10分くらいの所要時間でしょうか)、いろいろと知識を得られました。

シェアする方の中にそういう方がどれくらいいらっしゃるのか。

17の成分については、一部を除けばごくごく一般的なもののようです。

色の保持に使われているナトリウムの説明はラディッシュボーヤのサイトにありまして、解説にある「ピロリン酸二水素ナトリウム」が同じものかはわかりませんが、「ピロリン酸塩の中では、比較的よく使用されるものであり、かんすい、膨張剤の成分として、また、食品のpH調整の目的や、プロセスチーズ等における乳化塩として使用される。」と書かれています。

また、ポリジメチルシロキサンは、こんな具合。
http://daijiten.radishbo-ya.co.jp/outline/704.html
シリコーン油は体内に吸収されず出ちゃうのもあるようですね。

で、実際には、パッと見ただけでわからないわけですよ。

さて、問題のごく一部が何かということですが、こういう方々が騒ぎたいのであれば、THBQ :tert-ブチルヒドロキノンについてでしょうね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Tert-ブチルヒドロキノン
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~抜粋~
冷凍魚と魚製品で許可されている添加の上限値は1000 mg/kgである。
~抜粋~
日本では食品添加物としての利用が認められておらず、TBHQを含む食品の輸入・販売が禁止されている[5]。
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ちなみに、過去にこれが検出された例がありますが、検出量は諸外国の指定範囲内ではあります。
http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/008_topics/files/topics_070207.htm


さて、ここまで来てもう一度よく見てみましょう。

http://www1.mcdonalds.ca/NutritionCalculator/IngredientFactsEN.pdf

この原材料の発表は、アドレスを見ると、カナダのマクドナルドのようです。よって、日本であーだこーだいっても、「日本のポテトの成分は異なる可能性がある」という大前提があると思われます。ブログの内容を鵜呑みにして、国内のマクドナルドを指して「だから食べないんです」と言われても、なんだかなーと思ってしまいます。

2014年5月14日水曜日

【Radio】ボランティアと管理の両立は難しい

今年度から熊本の崇城大学情報学部の非常勤講師を務めさせて頂くことになりました。
コミュニティFMで行っている番組作りについていろいろとお話をしています。

さて、今回のラジオネタ、「ボランティア」と「管理」について考えてみたいと思います。誤解を恐れずに言えば、重箱の角をつつくようなことを書きます。ですが、文脈の中で読み解かないとわからない内容です。全体を俯瞰する鳥の目と細部を見通す虫の目は、両方備わってこそ意味があります。

よく相談で言われるのが「ボランティアを受け入れたい」「受け入れるためにはどうしたらいいか」という質問です。そこで、実際どんな感じなのかを再現してみます。

相談「ボランティアを受け入れたいんです」
私「なぜですか?」
相談「番組作りのコストが減るから」
私「その他に理由は?」
相談「......コストが一番ですね」

ポイント①
「その他に理由がない」場合、短絡的なモノの見方です。もう少し広い視野を身につけましょう。

私「その他はないですか?」
相談「番組が増える?」
私「増えますね。他にどんなメリットがあると思いますか?」
相談「さらに人が来るかもしれません」
私「そうですね、その他にメリットはありませんか?」
相談「んーんー」
私「では、ボランティアを入れるデメリットはなんですか?」
相談「人集めをどうやっていくか」
私「そうですね、他には?」
相談「人が集まるので管理の問題とか」

まず、ボランティアを受け入れることで関わる人が増える、つまり、コンテンツが増えます。つまりは、ボランティアを受け入れることで、コンテンツは増える、となります。ですが、それを手にすると失うものがあるのですが、それが「管理」です。

故に、「たくさんの人を関わらせたい」と、「管理したい」は、共存できないのです。ただし、これは一般的に考える「管理」を行った場合なのです。

私「たくさんの人に関わってもらいたいけど、管理したい、という場合、どんな管理を考えていますか?」
相談「.........」
私「では、管理をしない、とした場合、どうなりますか?」
相談「.........」

ここまで来てわかると思いますが、相談者にとっては未体験なので、イメージ出来ないのです。イメージ出来ないことを質問されて、答えたところで、実際には伝わらないのではないかと私は感じました。そこで考え方を変えてみましょう。

「ボランティアとして関わる人を増やしたい」とは言っても、ローマは一日にしてならず、千里の道も一歩から、ということで、アタマの中に、ボランティアAさんをイメージし、その方が、継続的に番組作りに関わることができ、さらには、そういう方がたくさん増えれば....「ボランティアとして関わる人を増やす」ことはできそうではありませんか?

さらに言えば、自分がボランティアAさんになったつもりで考えてみましょう。

ラジオ局のディレクターとこれから番組を作って行くとき、ボランティアとして楽しく、継続的に番組作りに参加していきたい、と思うにはどうしてもらいたいでしょうか?そのインセンティブは何ですか?お金以外の何かがそこに必要なことがわかります。魅力ある放送局にするには、それに対しての想像力がカギになります。イメージをしっかり持つことが大切なのです。

その関係をどう作っていくか、という点については、また別の機会にお話します。

*このエントリーは1ヶ月前に下書きしていたのですが、関係の作り方については、5/16の第2回目の講義の内容になりそうです。

2014年5月13日火曜日

【閑話】美味しんぼ、読んでいないけどね。

私は以前、建築史のイラストを描く仕事をしていました。その時によく描いた図に「鳥瞰図」というものがあります。かんたんに言えば、「鳥の目で見た感じ」の絵です。そのイラストをイメージしながら、庭園を歩いたりすると、仕掛けの関係性がよくわかります。全体をイメージしながら部分を見るのですから、どんな意図が隠されているのかもわかります。

さて、昨今、大騒ぎの美味しんぼですが、正直、表現がどうのこうの言うのは、ナンセンスだと思っています。「議論すべき内容」を考慮すれば、大した問題ではないと思うからです。それ以上に、なぜ今この内容なのか?これを掲載したのか?そして、部分ではなく、全体を見てみた時に、どう映るのか?ということについて考えてみたいと思います。

2011年5月頃だったでしょうか。友人と福島について話しをしていました。その方が言うには「封鎖しかない」でした。私は住む場所が無くなるという現実、そうは言っても放射線の線量によっては状況も変わるのではないかという期待から、封鎖する、という選択には納得できませんでした。

しかし、実際は現在も封鎖しています。それが現実です。

震災直後からの全体を、ぼんやりと眺めているとどうしても気になることがあります。それは、安全についての議論の欠如です。

個人的な見解ですが、どうも黄色人種には、情緒に訴えるところがあるように思います。戦時下の捕虜の問題、虐殺、それらへの捉え方も、ヨーロッパとアジアでは異なるように感じます。感情的な部分を切り分けて、安全に暮らす、という点について考えてみると....

風評被害という言葉で、風評でないものも風評被害という言葉でフタがされていないでしょうか?現実的に、避難されている方で、自分の家に帰りたい人の割合はどの程度いるのでしょうか?ある番組を見ていた時に、避難地域の高校生の6割は戻ること自体を諦めて新たな土地で生活をした方がいいのではないかと話していました。一次避難という言葉は、彼らの新たな生活基盤を作ることの足かせになってないでしょうか?メディアは、避難所の方々を、故郷を失った失意の中の人物として捉えていませんでしょうか?そういう姿勢で彼らの前に立てば、その主人公を演じる自分に疑いを持つこともないでしょう。

震災以降の経過を見ていると、避難地域が数キロ単位で拡大していったり、隠していた情報がどんどん明らかになってきたり、私たちは、報道される内容を信じることができなくなっていきました。

美味しんぼについて言えば、2年かけて取材したであろう事実に対して、本人がなぜ批判されるのかわからない、というのはよく分かります。

あれだけ大衆はメディアの言うことを信じてこなかったはずです。誰が語る言葉を事実とするのでしょうか?自分に都合の良いことしか、真実と捉えないような風潮になっていませんでしょうか?私は、原作者が、語られない事実を丁寧に拾い上げていったことに疑いは持っていません。それは美味しんぼという作品が読者との間に作ってきた信頼関係に他なりません。

そして、こんな映像もあります。

https://www.youtube.com/watch?v=k7kZRRkR6Xg&app=desktop


参議院の参考人として語っても、鼻血という現象は、メディアに登場することはないという現実が一方にはあるのです。もっともっと支援する側と支援される側の対話が必要です。コンサルタントで相談される内容も同じなのですが、技術的に解決できることと、対話でないと解決できないこと、それらを切り分ける必要があります。そうでないと、感情に流されてしまって、どうすべきかが見えなくなるからです。対話を積み重ねていきながら、現実に適応した議論と支援を行っていくべきだと感じています。


2014.5.14追記

表現がどうかということと、書かれていること、を一度切り離して考えてみると、ことは至ってシンプルだと思います。

実際には、その場所は安全かどうか、ということに対しての答えは、安全か、安全ではない、のどちらか一つしかありません。双葉町は安全です、というのが行政で、双葉町は安全なのか?、といっているのが美味しんぼです。

さて、学者から発信される「放射線の影響」の話しを聞く場合、いくつか知っておかないといけないことがあります。

①200mSv以下の影響については臨床データがない。
②高い線量で短時間被爆した場合と、低い線量を長時間被爆した場合では前者の方が影響が出やすいことが動物実験で証明されている。なのでおそらく人間も同じでは?と考えられている。

という事実です。
この2つの事実を、学者の文脈で言葉にすると、臨床データがない=認められていない=影響があるとは言い難い=影響があるとは言えない、という表現になります。逆に、臨床データがないので「影響がない」としているのは、実は、それはそれで問題です。
なので、その文脈がわかっていれば「影響があるとは言えない」という学者に対して、「では、貴方のご家族が双葉町で暮らしたいと言ったら、行かせますか、どうしますか?」と質問をすれば、その学者の真意がわかるかと思います。

少なくとも数人の学者は、「影響があるとは言えない」という「表現の説明」をすることになると思います。そうすると、「臨床データがない」という言葉が出てくると思います。ただ、だからと言って危険なのではありません。くれぐれも。今は線量が低くなっているからです。つまり、一番の問題は「わからない」ことなんです。そこまで突っ込んでみて初めて真実がわかります。質問を繰り返して反応を見ることもなく、学者の言葉をそのまま鵜呑みにするメディアを信頼などできるわけもありません。

さらに、元町長の健康状態を見れば、短時間に高い線量の被爆を受けたのではないか?とも想像ができます。ただし、ここでも繰り返しますが、現在は、線量は少なくなっているはずなので「今が危険」とも言えないのです。

では、そのような状況で何をすべきか、ということですが、今、日本が行うことは、たくさんの臨床データを取って、国際的に公表することだと思います。それをやるためには、絶対にやってはいけないことがあります。それは、事実を隠しながらデータを取ることです。間違いなく「人体実験だ」という批判に繋がります。

「わからない」から避難させ、臨床データを丁寧に取って、福島の経験を人類の財産のする姿勢こそが大切だと感じています。「低線量での長時間の臨床データ」が存在することは絶対にあってはならないのです。

私自身は、「コントロール下に置く」とはそういうことだと思います。

3年経っても除染が終わらない現実を考えれば、戻れるか、戻れないか、みたいなあやふやな状態で仮設住宅に住まわせるよりも、行政は、批判覚悟で「住めない」を前提に全力でサポートをする方が、よほど現実的だと思ってしまいます。

2014年4月1日火曜日

【閑話】「笑っていいともグランドフィナーレ」を見て

2014年3月31日、32年間続いた番組「笑っていいとも」が終了しました。
少し気になっていたので、グランドフィナーレを録画していて、それを見ての感想です。ただ、感動したとか、そういう類いの話しではないです(笑。

いくつか気になることがあったのだが、1つだけ書いておきます。それは、明石家さんまが辞めた理由をディレクターとケンカしたと話していたことです。

みんなでゲームするコーナーについて「あのコーナーは真剣にやってもらわないと困る」とディレクターが言った、という発言が興味深かったです。

その場合、真剣にやって笑いも起きずに終了〜となるか、真剣にやって失敗して笑われて終了〜となるか、のいずれかしかありません。勝負に勝てるかどうかは、どうでも良いです。何曜日が勝ったね!などと、テレビを見た人はいわないでしょうから。

これって、笑わせることを仕事とする人に対して、ものすごい侮辱だと思います。確かに、笑われてなんぼ、という芸風の方もいますが、あえていえば、その程度の芸人に、笑わせることにプライドを持っている人を合わせて参加させないと成立しない企画、というのは、やはり、どう考えても解せないのです。考えたディレクターにも「?」ですが、OKを出したプロデューサーにも「?」です。そのコーナーで何を提供したかったのでしょうか。そこから想像するに、制作側と出演者側とは、交わらないことが他の場面でも多かったのではないかと思うのです。

笑っていいともという番組の最大の特徴は「生放送である」ということでした。

つまり、その中で何が起きるかわからないドキドキ感だったり、温度が一緒に上がって行く一体感であったり、そういう感覚の共有こそが生放送の魅力です。そして、そのハプニングを寛容に受け入れられたMCがいたからこそ、あの番組は面白かったのだと思います。

以前、10代の頃、友達とテレビ番組の観覧者のバイトをしたことがありました。多くの番組収録で感じたのは「ハプニングは悪しきモノ」という共通感覚でした。ですから、リハーサルは入念に行い、段取りはよく確認し、カメラ割のチェックをし、本番に入るわけです。そして、ADが何かをしてカットがかかるとタレント達は先ほどのテンションとはうってかわり、スイッチをオフにする、という具合でした。

しかし、テレビのバラエティー番組の主流は、その方法です。きわどい発言はカットすれば良いし、間が生まれたりなんだりしたら、そこもカットすれば良い。濃縮還元のジュースを作るように、収録・編集こそが面白い番組を作る最善策とされています。

では、そういうことが善とされる現場で働く人が、何が起きるかわからない生放送に携わったらどうなるでしょうか。恐らく、生放送での冒険は減り、生放送なのに予定調和の方向に向かい、その結果、生放送でやっている意味すら見失うことになるでしょう。

ラジオ局に関わっていると、生放送の方がコストが掛からないことがわかりました。編集の手間はなるべく避けたいと思うようになります。ですが、私自身は生放送の方が好きです。打率は決して良くないかもしれません。でも、時々ホームランを打つような時があるかもしれないと思うと、やはり、生放送は楽しいな、と思うのです。

私が担当していた番組で、この3月に終了した音楽番組がありました。

この音楽番組は、ディランのアルバムをリリース順に聞いて行くというシンプルな内容です。そして、その合間はフリートークとなります。時にはものすごく深く分析して考えたり、時にはまったく違う話しで盛り上がったりなんてことがありました。

その音楽番組を約6年やってきましたが、その中で2回だけ、音楽を流さない回がありました。何の話しをして盛り上がったのかは覚えていませんが、音楽を流す雰囲気でもなければ、出演者も音楽を聞きたい様子でもないかったからでした。そこで音楽を流すことは、音楽が好きで自身も演奏したり、聞いたりしてきた人に対しては、苦痛であり、音楽に対しての敬意がない行為だと感じてしまったのです。結果、その日はトーク番組になりました。

でも、生放送の場合、これは多いにあり得ることだと思っています。ずっとつるんできた友人がガンで亡くなった日には、ものすごく個人的な追悼番組をやったりもしました。ある意味において、それを出さないことは放送に関わる人に取っては大切なことかもしれません。

ですが、パーソナリティを売りにしている方々の番組において、そんな大事件が無かったかのように振る舞うのは、ものすごく不自然だと感じてしまうのです。これが司会やナビゲーターのような進行役であれば、その役柄を全うすべきだと思いますが、パーソナリティを売りにしているのであれば、共感する部分も出てきたりして、その限りではないと感じました。



そして、最後、スマップ中居の発言で、バラエティは終わらないために番組を続けている、というものがありました。確かにそうだと思います。ただ、バラエティ番組は「終わらないために続ける」ということは、実は「続ける理由もないから終わる」ということに等しいと思います。続ける理由について、後付けの様々な言い訳は付けられますが、それらは本質ではありません。辞めない=続ける、というシンプルな図式なんだと思います。

では、続くとは何か、というと、その番組の面白さを最大限引き出すことなんだと思います。パーソナリティが武器であれば、そのキャラクターを出すべきだし、番組が生放送であるならば、生放送の魅力を最大限引き出すことだと思います。

確かに危うい場面もいろいろとあるかもしれません。だからこそ生放送でその場に参加したくなるのです。だからこそ、人は見るのです。続いているから見るのではなく、見られているいるから続くのです。

制作サイドは、視聴率が低迷すると、最初、企画のせいにするんだろうと思います。でも、そこに本質はありません。企画が悪いのではなく、制作サイドが「見てもらえる」というコトに対して、大いなる勘違いをしていることに気づかないのが悪なのです。


私は、いいともが終了したのは、生放送であることの武器を錆び付かせたことが原因ではないかと感じました。生放送なのに予定調和で、ドキドキもワクワクもソワソワも無い番組になってしまったら、どう考えても見なくなります。それよりも反乱する情報を整理してくれる番組の方を見たくなるでしょう。だから、情報バラエティ番組みたいな、幕の内弁当が増えるのです。


さて、最後の最後にラジオの話しをしておきましょう。

コミュニティFMの強みを考えた時、私は、生放送の量産、だと感じました。そして、その時に聞いていないと「聞き逃した」という感覚を味わうことこそ、「結果的」に聞く人が増える方法だと思っています。

リアルタイムメディアとしての武器はなんなのか?それをしっかり考えることこそ、コミュニティFMが継続できる第一歩になるんだと思います。

さて、毎日の生放送のバラエティ番組がなくなったことで、今後のテレビが変わって行くのではないかと思います。より、つまらない方に。そうなると、テレビ局はもっとマニアックにする方向が増えていき、そもそものマスメディアとしての役割すら軽視するメディアになっていくのではないかと思っています。

そのきっかけが「笑っていいとも」の終了になるような気がしています。




2014年3月6日木曜日

【コンサルタント】コンテクスト・リーディング

最近、企業や団体様からの相談を受けるようになりまして、そのことをお話しようかと思います。そのサブカテゴリを【コンサルタント】としました。


相談の中でよく感じるのが、相談者の「文脈」を読む感覚の有無です。


どういうことかと言いますと「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話しです。
ある事柄が起きて、全く関係ないところに影響が出ることもある。みたいなことですが、最近ではこじつけの意味にも取られるとか、真逆じゃないか。おかしい。


さて、一橋大の楠木先生は、「ストーリーとしての競争戦略」の中で、「連続する因果関係」を「ストーリー」と呼びました。「ビジネスの成功例はストーリーになってる」というのです。ええ、当たり前だよね。と思ったらアウト。ちょっと言い換えてみましょう。

「ビジネスの成功例は、どれも連続する因果関係に基づいている」

と言われたらいかがでしょうか?

私もこの本を読んでなるほど、と思ったわけですが、様々な企業の経営者の「選択」だけを見ていくと、ものすごく特別なことをしている、という感じではないのです。いってしまえば普通です。

こうなったら、こうなるから、ここをそうして、こうすると、ああなって、そうなれば、こうなるから、よし、こうしよう!みたいなことでしかありません。

経営者に共通しているのは、少しばかりの度胸と文脈を読み解くチカラなのです。ですが、これを言うのには、自身がそれなりの暮らしをしていないと成立しないという事実。それも悲しいところです(笑。

ただ、文脈を読み解くということに注視すると、間違わない選択が容易になります。恋愛だってそうかもしれません、人間関係も。コンテクスト・リーディングができると、精神衛生上、大変宜しいかと思います。

さて、「コンテクスト・リーディング」という言葉、検索してみたら「アンケート用紙を最初から最後まで読んで、その人の心理等を読み解く」みたいなことで使われていたようですが、アンケートのような、個人が特定しにくいものだったり、主体性の曖昧なものに対して、文脈を求めるのはどうかと思います。読むのは個人の心理であって、コンテクストと呼べる程のものではない気がしました。私の心理の文脈を読んでみてください、とは言わないですものね。

2014年2月26日水曜日

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方3/3(今の状況)

前々回から、マスメディア型、ソーシャルメディア型のコミュニティFMのいずれかを選ぶときの3つの視点についてお話してきましたが、今回はその最後であり、最大に大切なこと、「今の状況」です。ちょっと気合いはいり過ぎて長文です(笑。

コミュニティFMには、大きくわけて、管理監督を主眼においたマスメディア型、人的なネットワークを活かしていくソーシャルメディア型の2つのタイプがあります、というお話をしてきました。それを選ぶための視点として、ボランティアの有無には仕事の切り分けを行うことが大切であること、責任ある仕事までもがボランティアで良いのか?という懸念があるよね、というところまでをお話してきました。

というわけで、これまでの理想やイメージの発端となるのが、今回のエントリーになります。
それが「今の状況」から見た視点です。現実的には一番大切なこと、です。これがないと何も始まりませんからね。

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具体的なお話をする前に、たとえ話です。今日はほぼたとえ話です。

頭の中に山を思い描いてください。

その山には、いくつかの登山ルートがあります。そして、それぞれのルートには、個別の特徴があり、平坦だけど距離が長かったり、距離は短くても険しい道だったりがあるとします。
皆さんがリームリーダーです。これから、高校生、大学生、社会人、青年、自営業者、大手企業経営者、お年寄り、身体の不自由な方、というように、性別も属性もバラバラな人たちと登ることになりました。

そこで選んだのは、平坦で勾配が緩やかなルート。

最初のうちは仲良くのぼっています。ですが、しばらくすると、脚が痛いから休みたい。もう少し先までいって休もうよ。時間がかかり過ぎるので4人までならうちのヘリに乗せて山頂までいけるよ。僕はバイクが好きだからバイクでのぼって良いかな?、などなど、それぞれがそれぞれの思いをぶつけてきました。

さて、皆さんがチームリーダーだったらどうしますか?

おそらく選択は3つです。
①それぞれの主張通りに好きにさせる。
②不平不満を聞きながら我慢をさせて一緒に歩く。
③登山自体を放棄する。
あたりでしょうか。
①と②は、のぼりますが、③はのぼること自体を諦めてしまいます。
でも、①と②では、登るのが楽しそうには思えません。そうであれば③を選択する方が良いかもしれませんね。

ここまできて、いやいやまだ選択肢はあるでしょ?とお思いの方もいらっしゃると思います。
そうです、そう思います。私が考える正解は、以下の通りです。

不平不満が出てきたのは「なぜ皆で登らないといけないのか」を参加メンバーで共有していないのが課題だと気づいた。そこで、不満が出た時点ですぐに、脚を止めて、なぜ、皆で登ることを選ばないといけないのか、を立ち止まって共有することになった。

ここでのポイントは「共有する」ことです。
ここで、リーダーが一方的に「私はリーダーです。私の指示に従ってこうしなさい。」
というのは、本質的には、先に上げた②と変わりません。
ここで発揮するリーダーシップは「それぞれの意見を徹底的にすり合わせる役目」です。
皆野話しを聞いて皆の妥協点を探す、というのも、先の②の我慢をさせる、のと本質的には変わりません。


この「共有する」という行為を経ていくとどうなるか、考えてみましょう。

それぞれが意見を出し合っていくうちに、お互いがお互いを理解するようになりました。そして、誰かが「このメンバーで最後まで登りきりたいですね」と口にしました。そして、その想いが波及し、皆に共感を与えます。そして、お互いに声を掛け合い、さらに、歩みが遅い者がいれば荷物を持ってあげたり、背中を押してくれたり、そんなメンバー同士が支え合う姿が見えました。その結果、1人の脱落者もなく、最後まで山を登ることができました。めでたしめでし。

となる可能性が見えました。
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さて、ここまで書けばお分かりの方も多いと思います。
つまり、コミュニティFMもまったく同じ。もっと言えば、企業活動やコミュニティ活動も同じかもしれません。このように、現状と目標をどうすり合わせるか、が大切だということです。

これまで、どういうタイプがあり、どう選ぶか、をお話しましたが、実は、そんなことよりも、どうなりたいか、どうしたいか、の方がやはり重要なのです。これまでお話したことは、「こういう状況になるとこんな感じになるよ」ということでした。それらを踏まえて、どうなりたいのか、どうしたのか、を「共有」し、その目標と今の状況をどうすり合わせるか、がカギなのです。なぜなら「どうなるか?」がわからないのに、「どうなりたいか?どうしたいのか?」なんて選べませんからね。

では、いよいよ「どうしたい」が見えてきたとしましょう。例えば、こんな事実があったとしましょう。

「地元行政が、地域のボランティアを最大限活用して、第3セクターでラジオ局を作りたいと考えている」

行政、第3セクター、という点では管理監督の「マスメディア型」の視点の方が自然だし、ボランティアの活用という点では「ソーシャルメディア型」の視点の方が自然です。スタートから矛盾を抱えています。ですが、その後にこういう文章が続いたらどうでしょうか?

「ただし、5年をメドに民間企業で運営をし、地域企業の情報発信を協力にサポートする存在になってもらいたい」らしい。

こうなってくると、スタートこそ矛盾は含んではいますが、ゴールが明確になので、現状のソリューションを最大限活用して、目標にどう向かえばいいのかを常に議論して共有して、軌道修正を行いながら成長する組織へと変貌していく姿がイメージできると思います。そういう目標に対して、興味がある、関心がある、やってみたい、関わりたいという方が集まってくるわけです。

私は、先に上げた「軌道修正を行いながら成長する組織」こそ、コミュニティFMの最大の特徴があると感じています。

私たちの身の回りは、常に進化、変化しています。
以前の日本、つまり、マスメディアの時代には「価値観の共有」が自然と成されました。しかし、インターネットが登場し、情報が時間と場所を選ばずに簡単に手に入るようになると、価値観は多様化し、メディアは、「多様化した価値を共有する」ためのツールと変化しました。でも価値の多様化はこれまでのメディアの文化にありません。その結果、“マス”メディア離れが生まれました。
一方で、コミュニティFMは、物理的な特定エリアでの放送を行うことを生業として生まれましたが、これは多様化した価値観を「地域」というエリアで分断する行為です。

さて、これまでは多くの人に発信することこそメディアの仕事だったのに、エリアで分断してしまうとなると、ますますメディアの役割がわからなくなってきました。

そこで生まれたのが「共感」という手法です。お笑いで言う所のあるあるネタなどもそうですね。ものすごくニッチなことだったとしても、皆が持っているひっかかりに訴えることで「共感」を生み出せることがわかりました。
そこで、メディアは、共感の発信源となることを目指すようになりました。それは「物理的に分断されたエリア」という課題を逆手に取ることができる方法です。県民ショーなどの地域ネタなどまさにソレですね。前から気になっていた、ずっと思っていた、を地域の話題に結びつけることで、クチコミの発信源となり、多くの共感を引き寄せることができるのです。

例えば、地域9割以上の人が聞くメディアになることができれば...こんなご時世でも広告費が期待できることを簡単に想像できると思います。

コミュニティFMは、「コミュニティと共に歩み、成長していくメディアであれ」というのが私の持論です。
例えば、コミュニティの中に流れる「気になってた」という感覚は、物理的に区切られたエリアでこそ感じ取れるのではないでしょうか。今の「気になっていた」を観察し、軌道修正を行いながら、成長する組織へと変貌していくことが大切です。
また、コミュニティが状況に応じて変貌を遂げるとき、それに合わせ、運営方法ですら素直に見直せるような気軽さも、コミュニティFMならでは、と言えるのではないかと思います。


ギリシャ神話に、プロクルーステースという強盗が出てきます。
「プロクルーステースはエレウシースの外側の丘にアジトを持っていた。そこには、鉄の寝台があり、通りがかった人々に「休ませてやろう」と声をかけ、隠れ家に連れて行き、寝台に寝かせた。もし相手の体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、逆に、寝台の長さに足りなかったら、サイズが合うまで、体を引き伸ばす拷問にかけた。〜後略」(http://ja.wikipedia.org/wiki/プロクルーステース

という、めちゃくちゃな話し(怖。

これだけ変化の早い時代だからこそ、メディアは厳格な基準は持ちつつも、柔軟な姿勢が必要なのだと思っています。「コミュニティと共に、成長する」とは、そういう意味です。すべてを変えろとは言いませんが、しっかりと見極めつつ、必要に応じて変化していく柔軟な姿勢が大切なのです。先に上げた例(三セクでスタートして民間に引き継ぐ)を実行するとなると、段階によって「大切なモノ」が変わる場合もあります。大胆な方針変換のように見えることもあります。ただ、これだけは言えます。どんなところからスタートしても、目指すゴールさえ共有していれば、その道のりは「格段に」楽しくなります!開局を目指している方々、頑張ってください!個性豊かなコミュニティFMが日本全国に溢れることを夢見ております!

ということで、検討編は以上にて終了となります。
次回以降は「実践編」に移ります。例えば、機材にはどんなのが必要なの?著作権ってどうするの?など、「実際どうなの??」という疑問について、よく聞かれるトピックを紹介していきたいと思います。


最後に宣伝です(笑。
これらの整理や共有にお困りの方、是非、一度、ご相談ください。お手伝い致します。
地域に地域特有の様々なメディアが出来たら面白いな、って思ってます。
メディアも自前の時代ですからね。
ミラサポを通して頂ければ費用負担もありませんので是非、お気軽にご相談ください。

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方2/3(仕事の中身)

前回のエントリーでは、マスメディア型、ソーシャルメディア型のいずれかを選ぶ方法を考える前に、考えることの例を挙げ、まずは「ボランティアの有無」という視点で考えてみました。

今回は、そこであがってきた課題「責任ある仕事」を任せられるのか?について考えましょう。

さて、放送に関わる方は、もっとも基本的なことではありますが、パブリックを意識していないといけません。所謂、“公序良俗に反しない”ことが大切です。仮に、政治とは無縁であれば、広告費や制作費を頂くお客さんに対しては、その方の利益を優先しても基本的には問題ないでしょう。ですが、それが公序良俗に反するか、否か、お客様の利益を損なうことはないか、パブリックよりも個人に偏っていないか、などを、常にウォッチしていかなければなりません。ここには明確な「責任」が生まれます。

その他にも、広告を生業にする放送ですから、お客さんのケア、それに伴った制作、番組を毎日放送する、ということも必要です。さらには、どんな基準で何を放送するのか、ネタの選び方、広告か広報かの線を引く事など、いろいろ「管理・監督」しないとならない仕事も見えてきます。

まず1つ目の責任は、内容の「管理・監督」です。

そして、もう1つ責任があるとすれば、それは「育てること」です。
前回、「人が代謝する」という言い方をしました。しかし、実際には、できるようになるまで育てる必要があります。そして、それは「人の代謝」には、必ずついて回る問題なのです。恒常的に人を入れ替える=恒常的に人を育てる、ということです。たまにしか人が入らないのであれば、育てる手間も短期的にかかるだけで、もしかしたらその期間だけの外注さんに育ててもらって様々な技術を習得してもらってもいいかもしれません。
ですが、どんなカタチであれ、「育てる」という行為は必要なのです。

つまり、2つ目の責任は、人を「育てる」です。
他所でその業務についていたとしても、何をすればいいのかを知っているだけに過ぎず、その業務をその地域で実現するには、どうやるのか?という部分が大切なのです。

それを染み込ませていくこともまた「育てる」という行為に他なりません。

そして、これらができることで放送が維持・継続されていくのです。

ここまでをまとめると「責任ある仕事」とは、
①放送内容に関する「管理・監督」の仕事
②人を育てること
この2つに絞られます。

このように整理すると、これらの仕事をしていく人も、果たしてボランティアで大丈夫か?という懸念が出てきます。

つまり、ボランティアの有無と関わってきますが、実は、仕事の切り分けが、大切なのです。責任の希薄な仕事は確実にあります。よく責任を「ゼロ」「イチ」で語る方もおります。少しでもお金をもらうのであれば、そこには責任が発生する、という言い方ですね。
私はそうは思いません。責任の大きさこそお金に比例します。つまり、例えば、ボランティアであれば、責任を持たせること自体がナンセンスなのです。業務をいろいろと切り分けた上で、「ここであればボランティアにお願いできるかな?」などと、考えた方が自然なのです。

結論を言えば、「仕事の切り分け方の自由度の高さ」と「ボランティアの受け入れ」は両立します。よって、逆に「切り分けが困難な仕事」は、「ボランティアの受け入れ」とは両立しません。業務として遂行できるしっかりした体制を取るべきなのです。

さて、次回ですが、3つの視点で考えるということで3つめの視点となります。

それが「今の状況」です。

現実的には、一番大切です。言い換えれば、それ以外は後から考えましょう、としていてもいいくらい大切だと思います。
というのも、ラジオ局を開局しようと準備をすると、それに必要な様々なことが同時に動くので、その歩調を合わせるのはとても難しいのです。どうしても開局には“勢い”が必要で(笑)、その勢いのままに走り出せるよう準備しておく必要があります。もちろん、検討すべきことは検討してからとなりますが、スタート地点の状況をしっかりと見て理解しておく必要があるのです。その重要性を次回お伝えします。

2014年2月25日火曜日

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方1/3(ボランティアの有無)

前回のエントリーでは、マスメディア型、ソーシャルメディア型のいずれかを選ぶ方法を考える前に、考えることの例を挙げました。今回から3回に分けて、3つの視点でどちらかを選ぶ方法について触れたいと思います。

今回の視点は「ボランティアの有無」です。

よくご相談に来られる多くの方から「ボランティアが参加できる運営にしたい」というお話を頂きます。
「運営が大変そうなのでマンパワーに期待できる」「やりたい人、関わりたい人がたくさんいる」など、いろいろな「期待」をもたれていることがわかります。この「ボランティアの活用」という視点にたって突っ込んで考えてみましょう。

【メリット】
 ・人件費削減
  無償でお手伝いしてくれるのであればありがたいですね。
  でもインセンティブの設計は必要です。
 ・コンテンツ量を確保
  関わる人が多くなるとコンテンツの量は増える。
【デメリット】
 ・責任ある仕事が期待しにくい
  厚意のお手伝いが前提なので気持ち的に依頼をしにくい
 ・類は友を呼ぶはほんと。
  ただ、しばらくすると偏ります。

お金、コンテンツの視点での分類です。このあたりまでは想像できると思います。
本当にコワイのはココからです(笑)。

ボランティアは募集するか、ボランティアがボランティア候補を連れてくるかでボランティアの輪が広がっていきます。ただ、たくさんの「ボランティアが参加できる局」というコンセプトにすると、絶えず人が出入りをすることが前提になります。むしろ、人の出入りは呼吸と同じくらい必要なことになります。

つまり、それが実現できる前提で運営方法を考えるなら「人は使い捨てる」というスタンスに立つ方が局の方針としては自然な流れになるのです。若い人を安く使い、安く使ったまま年老いたら、次の若い人を安く雇う。を、繰り返すことが、ラジオ局にとってはストレスの少ない運営方法になるのです。

さて、こうして聞くとなんだかヒドイ話しに聞こえますね。私もそう思います(笑)。
ですが、実際の経営の視点で言えば、人の代謝こそ、継続的な運営に近づけるとは思いませんか?

そこで見えてくるのがデメリットであげた「責任ある仕事」とは何か?です。この問いに答えられないとボランティアで運営する、というわけにはいかないことがわかると思います。


次回は、「仕事の中身」という視点で考えてみたいと思います。