2014年2月26日水曜日

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方3/3(今の状況)

前々回から、マスメディア型、ソーシャルメディア型のコミュニティFMのいずれかを選ぶときの3つの視点についてお話してきましたが、今回はその最後であり、最大に大切なこと、「今の状況」です。ちょっと気合いはいり過ぎて長文です(笑。

コミュニティFMには、大きくわけて、管理監督を主眼においたマスメディア型、人的なネットワークを活かしていくソーシャルメディア型の2つのタイプがあります、というお話をしてきました。それを選ぶための視点として、ボランティアの有無には仕事の切り分けを行うことが大切であること、責任ある仕事までもがボランティアで良いのか?という懸念があるよね、というところまでをお話してきました。

というわけで、これまでの理想やイメージの発端となるのが、今回のエントリーになります。
それが「今の状況」から見た視点です。現実的には一番大切なこと、です。これがないと何も始まりませんからね。

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具体的なお話をする前に、たとえ話です。今日はほぼたとえ話です。

頭の中に山を思い描いてください。

その山には、いくつかの登山ルートがあります。そして、それぞれのルートには、個別の特徴があり、平坦だけど距離が長かったり、距離は短くても険しい道だったりがあるとします。
皆さんがリームリーダーです。これから、高校生、大学生、社会人、青年、自営業者、大手企業経営者、お年寄り、身体の不自由な方、というように、性別も属性もバラバラな人たちと登ることになりました。

そこで選んだのは、平坦で勾配が緩やかなルート。

最初のうちは仲良くのぼっています。ですが、しばらくすると、脚が痛いから休みたい。もう少し先までいって休もうよ。時間がかかり過ぎるので4人までならうちのヘリに乗せて山頂までいけるよ。僕はバイクが好きだからバイクでのぼって良いかな?、などなど、それぞれがそれぞれの思いをぶつけてきました。

さて、皆さんがチームリーダーだったらどうしますか?

おそらく選択は3つです。
①それぞれの主張通りに好きにさせる。
②不平不満を聞きながら我慢をさせて一緒に歩く。
③登山自体を放棄する。
あたりでしょうか。
①と②は、のぼりますが、③はのぼること自体を諦めてしまいます。
でも、①と②では、登るのが楽しそうには思えません。そうであれば③を選択する方が良いかもしれませんね。

ここまできて、いやいやまだ選択肢はあるでしょ?とお思いの方もいらっしゃると思います。
そうです、そう思います。私が考える正解は、以下の通りです。

不平不満が出てきたのは「なぜ皆で登らないといけないのか」を参加メンバーで共有していないのが課題だと気づいた。そこで、不満が出た時点ですぐに、脚を止めて、なぜ、皆で登ることを選ばないといけないのか、を立ち止まって共有することになった。

ここでのポイントは「共有する」ことです。
ここで、リーダーが一方的に「私はリーダーです。私の指示に従ってこうしなさい。」
というのは、本質的には、先に上げた②と変わりません。
ここで発揮するリーダーシップは「それぞれの意見を徹底的にすり合わせる役目」です。
皆野話しを聞いて皆の妥協点を探す、というのも、先の②の我慢をさせる、のと本質的には変わりません。


この「共有する」という行為を経ていくとどうなるか、考えてみましょう。

それぞれが意見を出し合っていくうちに、お互いがお互いを理解するようになりました。そして、誰かが「このメンバーで最後まで登りきりたいですね」と口にしました。そして、その想いが波及し、皆に共感を与えます。そして、お互いに声を掛け合い、さらに、歩みが遅い者がいれば荷物を持ってあげたり、背中を押してくれたり、そんなメンバー同士が支え合う姿が見えました。その結果、1人の脱落者もなく、最後まで山を登ることができました。めでたしめでし。

となる可能性が見えました。
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さて、ここまで書けばお分かりの方も多いと思います。
つまり、コミュニティFMもまったく同じ。もっと言えば、企業活動やコミュニティ活動も同じかもしれません。このように、現状と目標をどうすり合わせるか、が大切だということです。

これまで、どういうタイプがあり、どう選ぶか、をお話しましたが、実は、そんなことよりも、どうなりたいか、どうしたいか、の方がやはり重要なのです。これまでお話したことは、「こういう状況になるとこんな感じになるよ」ということでした。それらを踏まえて、どうなりたいのか、どうしたのか、を「共有」し、その目標と今の状況をどうすり合わせるか、がカギなのです。なぜなら「どうなるか?」がわからないのに、「どうなりたいか?どうしたいのか?」なんて選べませんからね。

では、いよいよ「どうしたい」が見えてきたとしましょう。例えば、こんな事実があったとしましょう。

「地元行政が、地域のボランティアを最大限活用して、第3セクターでラジオ局を作りたいと考えている」

行政、第3セクター、という点では管理監督の「マスメディア型」の視点の方が自然だし、ボランティアの活用という点では「ソーシャルメディア型」の視点の方が自然です。スタートから矛盾を抱えています。ですが、その後にこういう文章が続いたらどうでしょうか?

「ただし、5年をメドに民間企業で運営をし、地域企業の情報発信を協力にサポートする存在になってもらいたい」らしい。

こうなってくると、スタートこそ矛盾は含んではいますが、ゴールが明確になので、現状のソリューションを最大限活用して、目標にどう向かえばいいのかを常に議論して共有して、軌道修正を行いながら成長する組織へと変貌していく姿がイメージできると思います。そういう目標に対して、興味がある、関心がある、やってみたい、関わりたいという方が集まってくるわけです。

私は、先に上げた「軌道修正を行いながら成長する組織」こそ、コミュニティFMの最大の特徴があると感じています。

私たちの身の回りは、常に進化、変化しています。
以前の日本、つまり、マスメディアの時代には「価値観の共有」が自然と成されました。しかし、インターネットが登場し、情報が時間と場所を選ばずに簡単に手に入るようになると、価値観は多様化し、メディアは、「多様化した価値を共有する」ためのツールと変化しました。でも価値の多様化はこれまでのメディアの文化にありません。その結果、“マス”メディア離れが生まれました。
一方で、コミュニティFMは、物理的な特定エリアでの放送を行うことを生業として生まれましたが、これは多様化した価値観を「地域」というエリアで分断する行為です。

さて、これまでは多くの人に発信することこそメディアの仕事だったのに、エリアで分断してしまうとなると、ますますメディアの役割がわからなくなってきました。

そこで生まれたのが「共感」という手法です。お笑いで言う所のあるあるネタなどもそうですね。ものすごくニッチなことだったとしても、皆が持っているひっかかりに訴えることで「共感」を生み出せることがわかりました。
そこで、メディアは、共感の発信源となることを目指すようになりました。それは「物理的に分断されたエリア」という課題を逆手に取ることができる方法です。県民ショーなどの地域ネタなどまさにソレですね。前から気になっていた、ずっと思っていた、を地域の話題に結びつけることで、クチコミの発信源となり、多くの共感を引き寄せることができるのです。

例えば、地域9割以上の人が聞くメディアになることができれば...こんなご時世でも広告費が期待できることを簡単に想像できると思います。

コミュニティFMは、「コミュニティと共に歩み、成長していくメディアであれ」というのが私の持論です。
例えば、コミュニティの中に流れる「気になってた」という感覚は、物理的に区切られたエリアでこそ感じ取れるのではないでしょうか。今の「気になっていた」を観察し、軌道修正を行いながら、成長する組織へと変貌していくことが大切です。
また、コミュニティが状況に応じて変貌を遂げるとき、それに合わせ、運営方法ですら素直に見直せるような気軽さも、コミュニティFMならでは、と言えるのではないかと思います。


ギリシャ神話に、プロクルーステースという強盗が出てきます。
「プロクルーステースはエレウシースの外側の丘にアジトを持っていた。そこには、鉄の寝台があり、通りがかった人々に「休ませてやろう」と声をかけ、隠れ家に連れて行き、寝台に寝かせた。もし相手の体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、逆に、寝台の長さに足りなかったら、サイズが合うまで、体を引き伸ばす拷問にかけた。〜後略」(http://ja.wikipedia.org/wiki/プロクルーステース

という、めちゃくちゃな話し(怖。

これだけ変化の早い時代だからこそ、メディアは厳格な基準は持ちつつも、柔軟な姿勢が必要なのだと思っています。「コミュニティと共に、成長する」とは、そういう意味です。すべてを変えろとは言いませんが、しっかりと見極めつつ、必要に応じて変化していく柔軟な姿勢が大切なのです。先に上げた例(三セクでスタートして民間に引き継ぐ)を実行するとなると、段階によって「大切なモノ」が変わる場合もあります。大胆な方針変換のように見えることもあります。ただ、これだけは言えます。どんなところからスタートしても、目指すゴールさえ共有していれば、その道のりは「格段に」楽しくなります!開局を目指している方々、頑張ってください!個性豊かなコミュニティFMが日本全国に溢れることを夢見ております!

ということで、検討編は以上にて終了となります。
次回以降は「実践編」に移ります。例えば、機材にはどんなのが必要なの?著作権ってどうするの?など、「実際どうなの??」という疑問について、よく聞かれるトピックを紹介していきたいと思います。


最後に宣伝です(笑。
これらの整理や共有にお困りの方、是非、一度、ご相談ください。お手伝い致します。
地域に地域特有の様々なメディアが出来たら面白いな、って思ってます。
メディアも自前の時代ですからね。
ミラサポを通して頂ければ費用負担もありませんので是非、お気軽にご相談ください。

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方2/3(仕事の中身)

前回のエントリーでは、マスメディア型、ソーシャルメディア型のいずれかを選ぶ方法を考える前に、考えることの例を挙げ、まずは「ボランティアの有無」という視点で考えてみました。

今回は、そこであがってきた課題「責任ある仕事」を任せられるのか?について考えましょう。

さて、放送に関わる方は、もっとも基本的なことではありますが、パブリックを意識していないといけません。所謂、“公序良俗に反しない”ことが大切です。仮に、政治とは無縁であれば、広告費や制作費を頂くお客さんに対しては、その方の利益を優先しても基本的には問題ないでしょう。ですが、それが公序良俗に反するか、否か、お客様の利益を損なうことはないか、パブリックよりも個人に偏っていないか、などを、常にウォッチしていかなければなりません。ここには明確な「責任」が生まれます。

その他にも、広告を生業にする放送ですから、お客さんのケア、それに伴った制作、番組を毎日放送する、ということも必要です。さらには、どんな基準で何を放送するのか、ネタの選び方、広告か広報かの線を引く事など、いろいろ「管理・監督」しないとならない仕事も見えてきます。

まず1つ目の責任は、内容の「管理・監督」です。

そして、もう1つ責任があるとすれば、それは「育てること」です。
前回、「人が代謝する」という言い方をしました。しかし、実際には、できるようになるまで育てる必要があります。そして、それは「人の代謝」には、必ずついて回る問題なのです。恒常的に人を入れ替える=恒常的に人を育てる、ということです。たまにしか人が入らないのであれば、育てる手間も短期的にかかるだけで、もしかしたらその期間だけの外注さんに育ててもらって様々な技術を習得してもらってもいいかもしれません。
ですが、どんなカタチであれ、「育てる」という行為は必要なのです。

つまり、2つ目の責任は、人を「育てる」です。
他所でその業務についていたとしても、何をすればいいのかを知っているだけに過ぎず、その業務をその地域で実現するには、どうやるのか?という部分が大切なのです。

それを染み込ませていくこともまた「育てる」という行為に他なりません。

そして、これらができることで放送が維持・継続されていくのです。

ここまでをまとめると「責任ある仕事」とは、
①放送内容に関する「管理・監督」の仕事
②人を育てること
この2つに絞られます。

このように整理すると、これらの仕事をしていく人も、果たしてボランティアで大丈夫か?という懸念が出てきます。

つまり、ボランティアの有無と関わってきますが、実は、仕事の切り分けが、大切なのです。責任の希薄な仕事は確実にあります。よく責任を「ゼロ」「イチ」で語る方もおります。少しでもお金をもらうのであれば、そこには責任が発生する、という言い方ですね。
私はそうは思いません。責任の大きさこそお金に比例します。つまり、例えば、ボランティアであれば、責任を持たせること自体がナンセンスなのです。業務をいろいろと切り分けた上で、「ここであればボランティアにお願いできるかな?」などと、考えた方が自然なのです。

結論を言えば、「仕事の切り分け方の自由度の高さ」と「ボランティアの受け入れ」は両立します。よって、逆に「切り分けが困難な仕事」は、「ボランティアの受け入れ」とは両立しません。業務として遂行できるしっかりした体制を取るべきなのです。

さて、次回ですが、3つの視点で考えるということで3つめの視点となります。

それが「今の状況」です。

現実的には、一番大切です。言い換えれば、それ以外は後から考えましょう、としていてもいいくらい大切だと思います。
というのも、ラジオ局を開局しようと準備をすると、それに必要な様々なことが同時に動くので、その歩調を合わせるのはとても難しいのです。どうしても開局には“勢い”が必要で(笑)、その勢いのままに走り出せるよう準備しておく必要があります。もちろん、検討すべきことは検討してからとなりますが、スタート地点の状況をしっかりと見て理解しておく必要があるのです。その重要性を次回お伝えします。

2014年2月25日火曜日

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編⑤ 2つのタイプの選び方1/3(ボランティアの有無)

前回のエントリーでは、マスメディア型、ソーシャルメディア型のいずれかを選ぶ方法を考える前に、考えることの例を挙げました。今回から3回に分けて、3つの視点でどちらかを選ぶ方法について触れたいと思います。

今回の視点は「ボランティアの有無」です。

よくご相談に来られる多くの方から「ボランティアが参加できる運営にしたい」というお話を頂きます。
「運営が大変そうなのでマンパワーに期待できる」「やりたい人、関わりたい人がたくさんいる」など、いろいろな「期待」をもたれていることがわかります。この「ボランティアの活用」という視点にたって突っ込んで考えてみましょう。

【メリット】
 ・人件費削減
  無償でお手伝いしてくれるのであればありがたいですね。
  でもインセンティブの設計は必要です。
 ・コンテンツ量を確保
  関わる人が多くなるとコンテンツの量は増える。
【デメリット】
 ・責任ある仕事が期待しにくい
  厚意のお手伝いが前提なので気持ち的に依頼をしにくい
 ・類は友を呼ぶはほんと。
  ただ、しばらくすると偏ります。

お金、コンテンツの視点での分類です。このあたりまでは想像できると思います。
本当にコワイのはココからです(笑)。

ボランティアは募集するか、ボランティアがボランティア候補を連れてくるかでボランティアの輪が広がっていきます。ただ、たくさんの「ボランティアが参加できる局」というコンセプトにすると、絶えず人が出入りをすることが前提になります。むしろ、人の出入りは呼吸と同じくらい必要なことになります。

つまり、それが実現できる前提で運営方法を考えるなら「人は使い捨てる」というスタンスに立つ方が局の方針としては自然な流れになるのです。若い人を安く使い、安く使ったまま年老いたら、次の若い人を安く雇う。を、繰り返すことが、ラジオ局にとってはストレスの少ない運営方法になるのです。

さて、こうして聞くとなんだかヒドイ話しに聞こえますね。私もそう思います(笑)。
ですが、実際の経営の視点で言えば、人の代謝こそ、継続的な運営に近づけるとは思いませんか?

そこで見えてくるのがデメリットであげた「責任ある仕事」とは何か?です。この問いに答えられないとボランティアで運営する、というわけにはいかないことがわかると思います。


次回は、「仕事の中身」という視点で考えてみたいと思います。