2014年5月30日金曜日

【Radio】成長と維持、持続性のカギとは? 実践編その1

どんなラジオ局にしたいか、ということを考える検討編に続き、今回から数回に渡って「実践編」をお送りして行きたいと思います。例えば、機材にはどんなものが必要なの?著作権ってどうするの?など、「実際どうなのよー??」という疑問について、よく聞かれるトピックを紹介していきたいと思います。

その前に、このまとめの意図についてお話しておきます。
これらは「成長するコミュニティFM」というテーマに基づいております。実際に運営に関わって感じたのが、如何に全体を見れるか、ということと、それを踏まえてディティールに拘れるか、という点でした。これはラジオ局に関係なく、あらゆる業種においても有効です。全体を見て、部分に拘る、という姿勢は、私が行っているコンサルタント業務でもお話をしていることです。
コミュニティFMの成長とは、ヒト、モノ、カネを持続的に増やしていることです。普通の企業の成長と変わりません。コミュニティFMでもそれが実践できるのですが、固定観念を無くして読んで頂けると、すーっと入ってくるように書いております。

さて、実践編その1ですが、根源的な問いです。会社としての成長と維持です。会社である以上、売上は右肩上がりでありたい、または、ずっと成長しないとしても、ある程度の水準で維持をしたい、と考えるのは自然なことです。しかし、本質的には広告業であるコミュニティFMにおいては、地域の経済状況と直結しますので、地域が丸ごと儲かる状況にもならない限りは、広告市場も大きくならないので、売上はどこかの段階で横ばいになってしまいます。

その前提を踏まえた上で、ラジオ局を作りたい、という時に、大きくわけて2つのことに取り組んで行く必要があります。ここではあえて分けて取り組むことをオススメしますが、その2つとは、周波数獲得とアンテナ設置、それと、運営体制の整備です。簡単に言えば、ハードの整備とソフトの整備と言えるでしょうか。

数年前に電波法が改正されました。
それによって出来るようになったのが、ハードとソフトを分離する、というやり方です。極端な話、アンテナを持つ会社と番組を作る会社が別でもいいよ、ということです。以前は、原則的に一体でないとダメでした。

なので、複数の地域にまたがって、アンテナと電波を持つハード専門の会社が生まれるかもしれません。基本的には、電波法の摘要は、電波の割当をもらったアンテナを整備する会社が対象になります。故に、アンテナや電波は持たずに、複数の放送局に放送料を支払いながら番組を放送する、という事業も可能になるわけです。その場合、それはイベント会社かもしれませんし、出版社かもしれません。そんなことも可能になったのです。

分離できることのメリットを考えるとコミュニティFMの運営方法が大きく変わっていくかもしれない、ということがよくわかります。

ハードとソフトが一体的に運営される場合を考えます。

地域のメディアがない状態でコミュニティFMが誕生したとします。そうすると、当初は様々な方が関わりだします。その期待値は、初年度の売上という数字でそのまま反映されるでしょう。しかし、数年すると売上が横ばいになります。その数字がその地域の「広告市場の限界」と言えます。

この限界とは、それ以上稼げない、ということではありません。正確に言うと「今の体制ではそれ以上稼げない」ということになります。つまり、写真1人で1000万円売り上げるとすると、社員3人なら3000万円、5人なら5000万円、ということになります。よって、会社として、それ以上の売上を求める場合には、①スタッフを入れて体制を強化する、②聴取率を上げて出稿率を上げる、③いっそのこと別の事業を行う、などの選択をする必要があります。

一方「それ以上稼がない」という選択肢もあります。少し矛盾しているかもしれませんが、維持こそ継続と考える方法です。これは運営に関わる支出を、固定経費、変動経費としてわけて考え、主にハードウェアの維持=固定経費を基準に、それを維持させるための運営を行う、ということになります。つまり、この場合、働くスタッフも入れ替わって行く方がいいかもしれません。若いスタッフを育てて、という考え方だと、売上が横ばいである以上、お給料をアップすることも難しいので、横ばいの給料でいいよ、という方を集めるか、それができないといずれ入れ替えることになります。なので、社員教育をしながらというのは難しいかもしれません。

基本的に、入ってくる以上に使わなければキャッシュフローに問題は起きません。会社の運営としてこれ以上シンプルな考え方はありません。ですが、実際に運営してみると、どうにもお金がかかってしまうのです。

これまでにも、いくつかのコミュニティFMの方々とお話をしてきましたが、最近、資本金1500万円、1000万円で整備を整えて開局したという放送局の方にお会いしました。イニシャルコストを抑えてスタートさせるのは、本当に大変なことですが、実に多くのノウハウが詰まっていることがわかりました。私自身が考える「成長するコミュニティFM」には欠かせません。イニシャルコストの大小は、ランニングコストにも直結してきます。

次回以降は、主に、運営の部分についてお話をしていきます。若干機材のことも入ってきますが、私自身は専門としていないので、機材に関しては個別にご相談頂ければと思います。

2014年5月26日月曜日

【閑話】マクドのポテトの17の原料が明らかに!だって。

http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11582746530.html#cbox

こういう記事って無条件に広がるからなんだかなぁと思います。

17の成分のうち、全部ではないですが、いくつかを調べてみると(だいたい10分くらいの所要時間でしょうか)、いろいろと知識を得られました。

シェアする方の中にそういう方がどれくらいいらっしゃるのか。

17の成分については、一部を除けばごくごく一般的なもののようです。

色の保持に使われているナトリウムの説明はラディッシュボーヤのサイトにありまして、解説にある「ピロリン酸二水素ナトリウム」が同じものかはわかりませんが、「ピロリン酸塩の中では、比較的よく使用されるものであり、かんすい、膨張剤の成分として、また、食品のpH調整の目的や、プロセスチーズ等における乳化塩として使用される。」と書かれています。

また、ポリジメチルシロキサンは、こんな具合。
http://daijiten.radishbo-ya.co.jp/outline/704.html
シリコーン油は体内に吸収されず出ちゃうのもあるようですね。

で、実際には、パッと見ただけでわからないわけですよ。

さて、問題のごく一部が何かということですが、こういう方々が騒ぎたいのであれば、THBQ :tert-ブチルヒドロキノンについてでしょうね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Tert-ブチルヒドロキノン
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~抜粋~
冷凍魚と魚製品で許可されている添加の上限値は1000 mg/kgである。
~抜粋~
日本では食品添加物としての利用が認められておらず、TBHQを含む食品の輸入・販売が禁止されている[5]。
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ちなみに、過去にこれが検出された例がありますが、検出量は諸外国の指定範囲内ではあります。
http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/008_topics/files/topics_070207.htm


さて、ここまで来てもう一度よく見てみましょう。

http://www1.mcdonalds.ca/NutritionCalculator/IngredientFactsEN.pdf

この原材料の発表は、アドレスを見ると、カナダのマクドナルドのようです。よって、日本であーだこーだいっても、「日本のポテトの成分は異なる可能性がある」という大前提があると思われます。ブログの内容を鵜呑みにして、国内のマクドナルドを指して「だから食べないんです」と言われても、なんだかなーと思ってしまいます。

2014年5月14日水曜日

【Radio】ボランティアと管理の両立は難しい

今年度から熊本の崇城大学情報学部の非常勤講師を務めさせて頂くことになりました。
コミュニティFMで行っている番組作りについていろいろとお話をしています。

さて、今回のラジオネタ、「ボランティア」と「管理」について考えてみたいと思います。誤解を恐れずに言えば、重箱の角をつつくようなことを書きます。ですが、文脈の中で読み解かないとわからない内容です。全体を俯瞰する鳥の目と細部を見通す虫の目は、両方備わってこそ意味があります。

よく相談で言われるのが「ボランティアを受け入れたい」「受け入れるためにはどうしたらいいか」という質問です。そこで、実際どんな感じなのかを再現してみます。

相談「ボランティアを受け入れたいんです」
私「なぜですか?」
相談「番組作りのコストが減るから」
私「その他に理由は?」
相談「......コストが一番ですね」

ポイント①
「その他に理由がない」場合、短絡的なモノの見方です。もう少し広い視野を身につけましょう。

私「その他はないですか?」
相談「番組が増える?」
私「増えますね。他にどんなメリットがあると思いますか?」
相談「さらに人が来るかもしれません」
私「そうですね、その他にメリットはありませんか?」
相談「んーんー」
私「では、ボランティアを入れるデメリットはなんですか?」
相談「人集めをどうやっていくか」
私「そうですね、他には?」
相談「人が集まるので管理の問題とか」

まず、ボランティアを受け入れることで関わる人が増える、つまり、コンテンツが増えます。つまりは、ボランティアを受け入れることで、コンテンツは増える、となります。ですが、それを手にすると失うものがあるのですが、それが「管理」です。

故に、「たくさんの人を関わらせたい」と、「管理したい」は、共存できないのです。ただし、これは一般的に考える「管理」を行った場合なのです。

私「たくさんの人に関わってもらいたいけど、管理したい、という場合、どんな管理を考えていますか?」
相談「.........」
私「では、管理をしない、とした場合、どうなりますか?」
相談「.........」

ここまで来てわかると思いますが、相談者にとっては未体験なので、イメージ出来ないのです。イメージ出来ないことを質問されて、答えたところで、実際には伝わらないのではないかと私は感じました。そこで考え方を変えてみましょう。

「ボランティアとして関わる人を増やしたい」とは言っても、ローマは一日にしてならず、千里の道も一歩から、ということで、アタマの中に、ボランティアAさんをイメージし、その方が、継続的に番組作りに関わることができ、さらには、そういう方がたくさん増えれば....「ボランティアとして関わる人を増やす」ことはできそうではありませんか?

さらに言えば、自分がボランティアAさんになったつもりで考えてみましょう。

ラジオ局のディレクターとこれから番組を作って行くとき、ボランティアとして楽しく、継続的に番組作りに参加していきたい、と思うにはどうしてもらいたいでしょうか?そのインセンティブは何ですか?お金以外の何かがそこに必要なことがわかります。魅力ある放送局にするには、それに対しての想像力がカギになります。イメージをしっかり持つことが大切なのです。

その関係をどう作っていくか、という点については、また別の機会にお話します。

*このエントリーは1ヶ月前に下書きしていたのですが、関係の作り方については、5/16の第2回目の講義の内容になりそうです。

2014年5月13日火曜日

【閑話】美味しんぼ、読んでいないけどね。

私は以前、建築史のイラストを描く仕事をしていました。その時によく描いた図に「鳥瞰図」というものがあります。かんたんに言えば、「鳥の目で見た感じ」の絵です。そのイラストをイメージしながら、庭園を歩いたりすると、仕掛けの関係性がよくわかります。全体をイメージしながら部分を見るのですから、どんな意図が隠されているのかもわかります。

さて、昨今、大騒ぎの美味しんぼですが、正直、表現がどうのこうの言うのは、ナンセンスだと思っています。「議論すべき内容」を考慮すれば、大した問題ではないと思うからです。それ以上に、なぜ今この内容なのか?これを掲載したのか?そして、部分ではなく、全体を見てみた時に、どう映るのか?ということについて考えてみたいと思います。

2011年5月頃だったでしょうか。友人と福島について話しをしていました。その方が言うには「封鎖しかない」でした。私は住む場所が無くなるという現実、そうは言っても放射線の線量によっては状況も変わるのではないかという期待から、封鎖する、という選択には納得できませんでした。

しかし、実際は現在も封鎖しています。それが現実です。

震災直後からの全体を、ぼんやりと眺めているとどうしても気になることがあります。それは、安全についての議論の欠如です。

個人的な見解ですが、どうも黄色人種には、情緒に訴えるところがあるように思います。戦時下の捕虜の問題、虐殺、それらへの捉え方も、ヨーロッパとアジアでは異なるように感じます。感情的な部分を切り分けて、安全に暮らす、という点について考えてみると....

風評被害という言葉で、風評でないものも風評被害という言葉でフタがされていないでしょうか?現実的に、避難されている方で、自分の家に帰りたい人の割合はどの程度いるのでしょうか?ある番組を見ていた時に、避難地域の高校生の6割は戻ること自体を諦めて新たな土地で生活をした方がいいのではないかと話していました。一次避難という言葉は、彼らの新たな生活基盤を作ることの足かせになってないでしょうか?メディアは、避難所の方々を、故郷を失った失意の中の人物として捉えていませんでしょうか?そういう姿勢で彼らの前に立てば、その主人公を演じる自分に疑いを持つこともないでしょう。

震災以降の経過を見ていると、避難地域が数キロ単位で拡大していったり、隠していた情報がどんどん明らかになってきたり、私たちは、報道される内容を信じることができなくなっていきました。

美味しんぼについて言えば、2年かけて取材したであろう事実に対して、本人がなぜ批判されるのかわからない、というのはよく分かります。

あれだけ大衆はメディアの言うことを信じてこなかったはずです。誰が語る言葉を事実とするのでしょうか?自分に都合の良いことしか、真実と捉えないような風潮になっていませんでしょうか?私は、原作者が、語られない事実を丁寧に拾い上げていったことに疑いは持っていません。それは美味しんぼという作品が読者との間に作ってきた信頼関係に他なりません。

そして、こんな映像もあります。

https://www.youtube.com/watch?v=k7kZRRkR6Xg&app=desktop


参議院の参考人として語っても、鼻血という現象は、メディアに登場することはないという現実が一方にはあるのです。もっともっと支援する側と支援される側の対話が必要です。コンサルタントで相談される内容も同じなのですが、技術的に解決できることと、対話でないと解決できないこと、それらを切り分ける必要があります。そうでないと、感情に流されてしまって、どうすべきかが見えなくなるからです。対話を積み重ねていきながら、現実に適応した議論と支援を行っていくべきだと感じています。


2014.5.14追記

表現がどうかということと、書かれていること、を一度切り離して考えてみると、ことは至ってシンプルだと思います。

実際には、その場所は安全かどうか、ということに対しての答えは、安全か、安全ではない、のどちらか一つしかありません。双葉町は安全です、というのが行政で、双葉町は安全なのか?、といっているのが美味しんぼです。

さて、学者から発信される「放射線の影響」の話しを聞く場合、いくつか知っておかないといけないことがあります。

①200mSv以下の影響については臨床データがない。
②高い線量で短時間被爆した場合と、低い線量を長時間被爆した場合では前者の方が影響が出やすいことが動物実験で証明されている。なのでおそらく人間も同じでは?と考えられている。

という事実です。
この2つの事実を、学者の文脈で言葉にすると、臨床データがない=認められていない=影響があるとは言い難い=影響があるとは言えない、という表現になります。逆に、臨床データがないので「影響がない」としているのは、実は、それはそれで問題です。
なので、その文脈がわかっていれば「影響があるとは言えない」という学者に対して、「では、貴方のご家族が双葉町で暮らしたいと言ったら、行かせますか、どうしますか?」と質問をすれば、その学者の真意がわかるかと思います。

少なくとも数人の学者は、「影響があるとは言えない」という「表現の説明」をすることになると思います。そうすると、「臨床データがない」という言葉が出てくると思います。ただ、だからと言って危険なのではありません。くれぐれも。今は線量が低くなっているからです。つまり、一番の問題は「わからない」ことなんです。そこまで突っ込んでみて初めて真実がわかります。質問を繰り返して反応を見ることもなく、学者の言葉をそのまま鵜呑みにするメディアを信頼などできるわけもありません。

さらに、元町長の健康状態を見れば、短時間に高い線量の被爆を受けたのではないか?とも想像ができます。ただし、ここでも繰り返しますが、現在は、線量は少なくなっているはずなので「今が危険」とも言えないのです。

では、そのような状況で何をすべきか、ということですが、今、日本が行うことは、たくさんの臨床データを取って、国際的に公表することだと思います。それをやるためには、絶対にやってはいけないことがあります。それは、事実を隠しながらデータを取ることです。間違いなく「人体実験だ」という批判に繋がります。

「わからない」から避難させ、臨床データを丁寧に取って、福島の経験を人類の財産のする姿勢こそが大切だと感じています。「低線量での長時間の臨床データ」が存在することは絶対にあってはならないのです。

私自身は、「コントロール下に置く」とはそういうことだと思います。

3年経っても除染が終わらない現実を考えれば、戻れるか、戻れないか、みたいなあやふやな状態で仮設住宅に住まわせるよりも、行政は、批判覚悟で「住めない」を前提に全力でサポートをする方が、よほど現実的だと思ってしまいます。