2013年10月3日木曜日

【Radio】コミュニティFMの作り方 検討編① コミュニティFMの2タイプ

コミュニティFMの取材をしていると開局までの検討内容と議論の経緯が「どんな局になるのか?」と大きく関ることがわかりました。つまり、逆を言えば、目指したいコミュニティFM局をしっかり見据えて共有していくことで「必要なプロセスを経て開局を迎えることができる」とも言えます。

さて、私は経験上、コミュニティFMのタイプを2つに分類しました。
1つはマスメディア型のコミュニティFM、もう1つがソーシャルメディア型のコミュニティFMの2種類です。今回は、2つのタイプがどんな放送局なのかのイメージをお伝えしたいと思います。これは報道局としての姿勢とも繋り、様々な打ち手と深く関ります。

以下の分類は、単純にどちらか、ということだけでなく、その傾向がある、とお考えください。

【マスメディア型コミュニティFM】
・営業、技術、総務役割分担と担当者付けが明確である。
・指揮系統がしっかりしている。
・ラジオ局=発信者、リスナー=受信者という意識が高い。

【ソーシャルメディア型コミュニティFM】
・担当はあるが基本的にオールマイティ
・現場に委ねる意思決定の範囲が広い
・ラジオ局=「コミュニティの一員」という意識がある。


これからコミュニティFMを作ろう!とした場合、上記の中で私自身が最も重要だと考えるのは、3つ目のラジオ局とリスナーの関係です。

「発信者」という意識をもったコミュニティFMは、情報の正確性と信頼性を重んじます。故に意思決定者を明確にし、ブレない方針と思考であらゆる事柄を決定していきます。さらに各担当を決めることで、スムースな意思疎通と現場との連携を実現します。
そのため、現場で新しい発見があり、基本方針を見直す必要性を感じても、まずは、局内の意思決定者を説得する労力と時間を必要とします。特に新しい技術やツールの導入の際には、そのメリット、デメリットを伝えて判断を煽るという手続きが必要になり、その際に優先すべき事柄は意思決定者に一任されることになります。結果、現場とは全く異なる視点で判断されたりすると、現場の士気が下がるなんてこともよくある話です。
さらに言えば、無償のボランティアスタッフに有償のスタッフと同様の責任を持たせることは難しく、結果、ボランティアに委ねる範囲も少なくなります。情報の扱い方で言えば、公的機関から配信されるもの以外の情報、例えば、リスナーから寄せられる情報は裏取りの方法も含めて、スキームを決めていたり、確認が取れるまでは発信しない、という方針を持っているようです。

一方、ソーシャルメディア型の「コミュニティの一員」というものがどういうものかと言うと、例えば、商店街のお肉屋さんに靴屋さんの奥さんが買い物に行くように、店主とお客という関係は、ロケーション次第で、反転します。このように「情報を発信する人と情報を受信する人がコミュニティ内で入れ替わることを許容する」ということを意味します。この役割の転換は、市民が先生になる市民塾や誰でも先生になれる地域大学の取組にも通じるものがあります。
コミュニティFMに置き換えると、コミュニティの一員であるが故、持ちつ持たれつを基本とし、リスナーにラジオを通して情報を発信しても、時には他のメディアを使ってリスナーと情報を共有してインプットすることも想定しています。さらには組織内にもその文化は反映され、担当は決まっていても明確な役割分担はせず、基本的にオールマイティな人材が増えていきます。そのため、あらゆる場面でお互いのフォローがしやすいというメリットがあります。また、ボランティアにたいしてもそのスタンスで対応するので、多くの責任を委ねる傾向があります。
局内では、最終意思決定者はいたとしても、各担当が現場で臨機応変に対応でき、多くの場面で意思決定を行うことを許容し、その経過と結果を報告することで情報を共有していきます。
もちろん、メリットばかりではありません。現場での臨機応変の度合いに個人差が生まれるので、あの人に頼めば大丈夫だとこの人だと断られそう、みたいなことが起きます。そうると、情報が集まる人、情報を活用出来る人が分かれ出して、結果的に統率が取りにくくなる、という危険も孕んでいます。

以上のように、2タイプを検討して決めることは、コミュニティFMの運営イメージと直結していくことがわかると思います。そして、どちらの方が“私達にとって”現実的かを判断することの重要性をおわかり頂けたのではないかと思います。

例えば、どこかの局にヒアリングを行う際も、コミュニティFMとしてのスタンスを伺って、ご自身の中で「マスメディア型」「ソーシャルメディア型」と分類してみてください。その後、局内の組織体制、ソーシャルメディアの利用状況、ボランティアスタッフの受け入れ、そして、経理状況などを伺ってみてください。そうすれば、スタンスと打ち手の矛盾の有無がわかり、なぜその局がうまくいっているか、または、うまくいっていないのかがわかるが見えてくると思います。


最後にその矛盾の具体例を挙げておきます。
これは私が、あるコミュニティFMの方にヒアリングした際に言われたことなのですが、「ボランティアは無責任だから任せられないので、開局から3年くらいで受け入れを辞めた」とのこと。この一文に、実に多くの矛盾が存在します。
すべてを管理統制していくことを前提としたら、ボランティアの受け入れは慎重にすべきです。むしろ、受け入れない方がいいでしょう。一方で、番組作りにボランティアの必要性を感じるのであれば、それを許容できる体制とルールを作るべきです。例えば、その時間帯を市民枠として、局の制作から完全に切り離すなど。ただ、有償で働く責任ある立場の人が、無償のボランティアスタッフに責任を持たせるという発想自体を改めるべきです。有償、無償問わず、責任感は、インセンティブに起因しますので、無償のボランティアでも、お金以外のインセンティブを与えることで責任感を醸成させることは可能です。逆の立場で考えてみてみましょう。仕事として有償でやっている人に無償スタッフのご自身にもっと責任感持ってもらわないと困るとか、放送に関わる人間として、などと言われたらゲンナリしませんか?
さらに言えば、それでもボランティアスタッフのチカラが必要であれば、管理統制を重んじるマスメディア型のスタンスそのものを見直す必要があるのかもしれません。それほど、この何気ない一文は私に衝撃を与えたのでした。

次回は、マスメディア型の運営の場合、ヒト、モノ、カネの3点がどうあるべきかを考えてみたいと思います。

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