2013年10月10日木曜日

【閑話】3000 vs 1 ってことではないよね?

コミュニティFMの話題は一休みして、今日はある出来事を取り上げてみたいと思います。

*簡単にまとめようかと思ったのですが、元の記事をごらんください。

さて、このお話、いかがでしょうか?私はどうにもモンモンとしてしまいました。閉鎖の理由(法律違反)はわかるのですが、その対応がどうにも解せないのです。

ネットでの反応はいくつかあり、例えば「1人のクレームで皆が不幸?になるのはどうか」というもの。その1人が悪という構図。または、「なかなか同情できるんだけど、え?法律違反か!なら仕方ないじゃないか」という話。両方わかります。


さて、反対署名は、撤去に対してのことでしょう。そこで疑問が生まれます。
これだけ人に使われたりしているのであれば、手順は逆になったとしても、現状設置された工作物に対して許可申請を行うべきではないかと思うのです。3000人の要望と共に。
法律的な根拠など持ち合わせておりませんが、数年間使われて来て、コミュニティができるくらいの状況、手続きはされていなかったとしても、公益の既成事実があったと言えるのではないかと思うのです。であれば申請をするのは自然だし、それに対して行政も真摯に受け止めることを期待したいです。

でも、これまでは「たまたまクレームがなかっただけ」とも言えるかもしれません。

それも、昼夜逆転で仕事している人が居て、たまたまクレームになった、というのが実際のところなのではないかと思います。騒音の規定もあるだろうし、それ以前に、すでにたくさんの人が使っていたわけですから。なので、署名はこれまでの数年間での公益の実績を元に、許可を出してください、ということに向かうべきかと思うのです。


そもそも、当初のクレームは音でした。ならば音の対策を講じることで済むはずだったのが、行政判断ではクレームの元凶は根こそぎ刈っておけ!みたいなところで、撤去となりました。「騒音の話」が「無許可の工作物」に問題がすり替わった感じがして仕方ないんです。すり替わったと思う理由は、そもそも許可されていた工作物だとしたら、どうやって対処したのか?という疑問が残るからです。仮に、許可していたとしたら撤去までには至らないでしょう。やはり、音をどうにかしましょう、という話になります。ということは「音の問題」と「無許可の工作物」の話は本来、別々に議論すべき内容だと思います。音に対してのクレームの対応が撤去では、根本的な問題の解決になっていない気がするのです。

それに、仮にですよ、自分が出した苦情がきっかけで、家の前の施設が1つなくなることになり、それに反対する3000人の署名が集まっているとしたら....その3000人に会いたくない。逆に行政の撤去の判断が、自分にとっては迷惑な話です。

「いや、オレは音がうるさいって言っただけなんだけど....」と言うのかもしれません。

でも、結果だけみれば、行政判断での撤去の理由=自分が出したクレーム、という構図になります。もっと言えば、自分のクレームは行政の言い訳に利用されているのではないかとも思えてしまう。仮に彼らと対峙する機会があったらいやだなぁ。狭い街だろうし。そんな面倒には巻き込まれたくないです。

その時「皆さんが河川法に違反していたのが問題なのです。公益のためです。」
って言える人、どれくらいいるのだろうか?

これは、摩擦を恐れるが故に、最初の課題から少しずつズレて、ゴールが見えなくなり、多くの人が不幸になる結末を迎えるって話で、よくある話です。これが本当に残念です。同時に、ただただいずれの当事者になりたくないなぁと強く思ったのでした。


今回の件で言えば、まずは行政側がクレームをもらった家に言って状況を確認して、どうして欲しいかの要望を聞き、その要望をパークの利用者に伝えて、解決出来る方法を考える機会と対応する機会を作る、ってのが正解な気がします。で、それでも折り合わなければ、利用禁止か、撤去となるのかな。逆に折り合いが付いたら、工作物を許可して、よりたくさんの方に楽しんでもらえる公園にしたら良いと思います。

行政はこの手の課題には、もっと御用聞きに徹した方が良いかと。役割は、「当事者同士の意思疎通を計る事で、当事者が答え出すようにナビゲートする」ということです。言い換えれば「決断の責任は当事者に持たせる」ので、決断の責任を行政が追う必要すらないわけです。一番、好みそうなゴールではありません?

個人的に感じるのは、若い世代の中に、対話を好んで落としどころを探そうとするタイプの人が増えている気がします。対立や争いごとを嫌うピースフルな人が増えているのではないかと。マッチョなリーダーとか求められていない感じがしてならなりません。そういう文化に変わりつつあるから、コミュニケーションディレクターみたいな肩書きが生まれたり、コミュニティをデザインする人が生まれたりしているんだと思います。昨今、ワールドカフェ形式で対話を重んじるまちづくり系ワークショップが増えたのも同じ背景ですね。

いっそのこと、市民課に「折り合いを付ける課」を併設して欲しいです。で、行政は決断に責任を取らなくてすみますから、市民に対話の機会を与えて欲しいですね。そして、ファシリテーターは、境界線を引き続けた土地家屋調査士のOBに活躍して頂きましょう(笑)

これで、多少はモヤモヤが晴れた気がします。

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