問題
もし、あなたが、何か状況を変えたい課題を抱えているとしたら、まず、最初に変えるべきは環境である。○か×か?
答えは「×」。正解は「自分」です。
なぜなら、周囲の変化を求めたら限界がないからです。そして、他人を変えることほど難しいことはありません。何かを変えたいと思うのであれば、一番、確実で手っ取り早いのは「自分」を変えることです。では、何を変えればいいのか?ということですが、それは、「考え方」です。
寺山修司は、ある本の中で、「オレは不幸なオンナが嫌いだ」と言っていました。不幸なオンナは、同じ結果を繰り返すからだそうです。なぜか、それは同じ行動をするからです。なぜか、それは同じ考え方をするからです。同じ考え方をしたら、同じ行動をするし、同じ結果になる、確かにそう思いました。
私自身、この1年程、自分の「考え方」について分析してきました。そこでわかったことがあります。
私の仕事における最も大切なこと、それは「持続性・継続性」でした。それを最優先に考えます。正しいことは続きます。つまり、先の不幸なオンナは嫌いだ、の逆バージョンです。不幸なオンナが負のスパイラルに陥っているとすると、幸せなオンナは正のスパイラルの中にいると言えます。それは正しい思考方法だからです。
もう少し、掘り下げます。
どんなプロジェクトでも結構です。そこに、続くとか、続ける意外の正義があるでしょうか?「短期的に儲ける」というのも考え方の1つですが、コミュニティをベースにしている活動だったり、企業活動で言うなら、「継続」を最優先に考えるべきだと思います。
物事は頑張って続けるのではなく、良い取り組みで良い体制であれば、物事は勝手に続くのです。その状態こそが正義です。楽しいから続けたい、で良いのです。
さて、継続性や持続性をゴールに見ないと、どんなことが起きるか、考えてみましょう。不幸なオンナ状態とは何か、ですね。持続性や継続性の結果、長期的な成果を得られるとすると、その逆は、短期的な成果を求めることになります。
長期的な成果を得るには、関わる方々の主体性がカギを握ります。しかし、短期的な成果であれば、言われたことを実行する、だけで成果を残すことができます。なので、長期的な成果には主体性が生まれ、短期的な成果は主体性を生まない、と言っても良いでしょう。
主体性がある状態とはどんな状況でしょうか?良いかれば、自分のアタマで考える、ということになります。考えるためには何が必要か、それは土壌です。何かを考える時には、ゴールを設定し、要件を整理して、それらをメンバーと共有するところから始めます。
その段階で、要件整理、課題発見、情報共有、アイデア出し、を先輩から教わります。見て覚えることもできます。つまり、段階的なステップを1つずつ登って行く事で、自然と正しい思考が身に付くわけです。
しかし、短期的な成果を求める場合、そんなことは全部「リーダー」みたいな人がやります。結果、若手はいつになっても、思考方法が育たない。思考方法が育たないばかりか、表面的なやり方のみが伝わる。そして、不幸なことに、このやり方こそが仕事だと勘違いし、仕事を教える=やり方を教える、となっているです。
なので、新人が、なんでこうやるんですか?と質問をすると、以前からそうだった、うちではそうなんだ、という返答が先輩から返ってくるわけです。
こんなもの、世の中が変わって行く中では、陳腐化するに決まってます。変化に適応できない組織は、こうやって生まれていくのです。それこそ、持続性・継続性とは真逆の結果を伴ってしまうのです。
群馬県桐生市の会社です。地場産業振興を目的とした地域コミュニティブランドの活動、市民参加型×防災×コミュニティFMの運営などの相談受けてます。 【ミッション】地域情報化、コミュニティFM、地場産業の振興など。 【設立背景】NPO法人桐生地域情報ネットワークの地域情報化の活動から生まれた企業です。
2014年7月23日水曜日
2014年6月13日金曜日
【コンサルタント】鳥の目、虫の目。
今年度、ミラサポの専門家登録をし、本日、初めての派遣となりました。
新しい方とお会いするのは誠に刺激になりますね。
さて、企業の相談を受けていると感じることがあります。
例えば、AとBの2つの選択肢があり、Aが正解で、Bが不正解だとしましょう。
①ほぼ直感で正解を選べる人
②ほぼ直感で不正解を選ぶ人
③考えて不正解を選ぶ人
④考えて正解を選ぶ人
に分かれますね。
で、①「ほぼ直感で正解で選べる人」にとっては、
②や③のような不正解を選ぶ人たちの思考のプロセスが理解できない、
ということに気づきました。
だから、なぜ正解を選べるのか?、というコトに対して説明が出来ないんです。
一方で④のような方が社長だと事業は継続して伸びて行きますね。
私も当初は②でした。でも、④になれました。
で、わかったのが、結局、思考は技術だということです。
特に地方では、人材を活かす=成長させる、という姿勢が必要です。
無い物ねだりしてもしょうがないですからね。
もし事業に何か、違和感や危機感をお持ちの方がいらっしゃったら、
もう一度大局を静観してみることをオススメします。
全体を見て、細部に手を入れる。
それを繰り返して行くと、自ずと正解を選べるようになります。
私がお話させて頂く事の中に、鳥の目と虫の目ってのがあります。
鳥の目で全体、虫の目で細部を見る、ということです。
その方法については、また別の機会にお話したいと思います。
新しい方とお会いするのは誠に刺激になりますね。
さて、企業の相談を受けていると感じることがあります。
例えば、AとBの2つの選択肢があり、Aが正解で、Bが不正解だとしましょう。
①ほぼ直感で正解を選べる人
②ほぼ直感で不正解を選ぶ人
③考えて不正解を選ぶ人
④考えて正解を選ぶ人
に分かれますね。
で、①「ほぼ直感で正解で選べる人」にとっては、
②や③のような不正解を選ぶ人たちの思考のプロセスが理解できない、
ということに気づきました。
だから、なぜ正解を選べるのか?、というコトに対して説明が出来ないんです。
一方で④のような方が社長だと事業は継続して伸びて行きますね。
私も当初は②でした。でも、④になれました。
で、わかったのが、結局、思考は技術だということです。
特に地方では、人材を活かす=成長させる、という姿勢が必要です。
無い物ねだりしてもしょうがないですからね。
もし事業に何か、違和感や危機感をお持ちの方がいらっしゃったら、
もう一度大局を静観してみることをオススメします。
全体を見て、細部に手を入れる。
それを繰り返して行くと、自ずと正解を選べるようになります。
私がお話させて頂く事の中に、鳥の目と虫の目ってのがあります。
鳥の目で全体、虫の目で細部を見る、ということです。
その方法については、また別の機会にお話したいと思います。
2014年6月10日火曜日
【コンサルタント】「あなたの問題解決」のためのメソッド(今後)
告白するけど、1年程前に起きたとある個人的な出来事によって、文脈を読む力が身に付いた。なんとも皮肉なことだが、これは前からずっと欲しかったものだ。
文脈を読み解くとは、どういうことかと言うと「こうしたら、こうなって、こうなるから、こうなるね」みたいな、因果関係のことである。
本来、人というのはシンプルだ。欲も目標も希望も努力もその人の中にしかなく、その人が関わりを持たずに生きているなら、その存在を考えなくてもいいし、複雑な状況は生まれない。だが、人は人と関わって生きている。
だからこそ、仲良くなって共存したり、好きなのに離れて寂しくなったり、仲良く無いのに一緒に居たり、争ってみたり、なんてことが起きる。「それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」と公安9課の草薙素子に言ってもらうといい。
で、多くの場合は、関わることによって生まれた「関係」を「複雑」に感じるものだ。自分の考えと一致しない場合、そこに軋轢が生まれるのは当然のことである。
だが、文脈=コンテクストを読み解けるようになると、ハラも立たない。世の中のことの多くが、「仕方ない」に変わる。そうなると、他人の成長や評価を気にすることの意味のないことに気づく。そうすると自然に、文脈の中にいる自分自身に集中した方が、どれだけのチャンスを生み出せるだろうか?と考えられるようになる。
世の中のほとんどは「仕方ない」ことだ。
仕方ないとは諦めているわけではない、あえて言うなら「寝かしておく」ということだ。
今、問題解決のためのメソッドをまとめている。
「製造業で新商品を作りたい」「会社の中がギスギスしている」「業績が落ちてきてしまったけど....」「プロジェクトが思うように進まない」など、コミュニティから組織、事業に至るまで、なんでもござれなメソッドであると自負している。
問題は、これをどう出して行くか。
つまり、自分自身が課題を抱えているという状況なのだ(笑。
先日、10年来の知人にお会いした。お酒を飲みながら涙してみたりして、知人から友人になったその日、この悩みを相談してみた。
「なんでもいけるなら、まずは具体例を出した方が良いよ」と言われた。
なるほど、そうだ。その人が言うことはいつでも正しかった。
僕のメソッドの中にも「主体性を持つためのつなぎ目のデザイン」というプロセスがあるのだが、まさにそれだ。
ということで、現在、具体例の設定に苦慮している。適当に選ぶと多分失敗するので(笑)、そこは心して考えることにした。このブログ上で展開するのであれば、やはりコミュニティFMをテーマにした方が良い気もするけど、さて、どうしたものか。
もう少し考えよう。
文脈を読み解くとは、どういうことかと言うと「こうしたら、こうなって、こうなるから、こうなるね」みたいな、因果関係のことである。
本来、人というのはシンプルだ。欲も目標も希望も努力もその人の中にしかなく、その人が関わりを持たずに生きているなら、その存在を考えなくてもいいし、複雑な状況は生まれない。だが、人は人と関わって生きている。
だからこそ、仲良くなって共存したり、好きなのに離れて寂しくなったり、仲良く無いのに一緒に居たり、争ってみたり、なんてことが起きる。「それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」と公安9課の草薙素子に言ってもらうといい。
で、多くの場合は、関わることによって生まれた「関係」を「複雑」に感じるものだ。自分の考えと一致しない場合、そこに軋轢が生まれるのは当然のことである。
だが、文脈=コンテクストを読み解けるようになると、ハラも立たない。世の中のことの多くが、「仕方ない」に変わる。そうなると、他人の成長や評価を気にすることの意味のないことに気づく。そうすると自然に、文脈の中にいる自分自身に集中した方が、どれだけのチャンスを生み出せるだろうか?と考えられるようになる。
世の中のほとんどは「仕方ない」ことだ。
仕方ないとは諦めているわけではない、あえて言うなら「寝かしておく」ということだ。
今、問題解決のためのメソッドをまとめている。
「製造業で新商品を作りたい」「会社の中がギスギスしている」「業績が落ちてきてしまったけど....」「プロジェクトが思うように進まない」など、コミュニティから組織、事業に至るまで、なんでもござれなメソッドであると自負している。
問題は、これをどう出して行くか。
つまり、自分自身が課題を抱えているという状況なのだ(笑。
先日、10年来の知人にお会いした。お酒を飲みながら涙してみたりして、知人から友人になったその日、この悩みを相談してみた。
「なんでもいけるなら、まずは具体例を出した方が良いよ」と言われた。
なるほど、そうだ。その人が言うことはいつでも正しかった。
僕のメソッドの中にも「主体性を持つためのつなぎ目のデザイン」というプロセスがあるのだが、まさにそれだ。
ということで、現在、具体例の設定に苦慮している。適当に選ぶと多分失敗するので(笑)、そこは心して考えることにした。このブログ上で展開するのであれば、やはりコミュニティFMをテーマにした方が良い気もするけど、さて、どうしたものか。
もう少し考えよう。
2014年3月6日木曜日
【コンサルタント】コンテクスト・リーディング
最近、企業や団体様からの相談を受けるようになりまして、そのことをお話しようかと思います。そのサブカテゴリを【コンサルタント】としました。
相談の中でよく感じるのが、相談者の「文脈」を読む感覚の有無です。
どういうことかと言いますと「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話しです。
ある事柄が起きて、全く関係ないところに影響が出ることもある。みたいなことですが、最近ではこじつけの意味にも取られるとか、真逆じゃないか。おかしい。
さて、一橋大の楠木先生は、「ストーリーとしての競争戦略」の中で、「連続する因果関係」を「ストーリー」と呼びました。「ビジネスの成功例はストーリーになってる」というのです。ええ、当たり前だよね。と思ったらアウト。ちょっと言い換えてみましょう。
「ビジネスの成功例は、どれも連続する因果関係に基づいている」
と言われたらいかがでしょうか?
私もこの本を読んでなるほど、と思ったわけですが、様々な企業の経営者の「選択」だけを見ていくと、ものすごく特別なことをしている、という感じではないのです。いってしまえば普通です。
こうなったら、こうなるから、ここをそうして、こうすると、ああなって、そうなれば、こうなるから、よし、こうしよう!みたいなことでしかありません。
経営者に共通しているのは、少しばかりの度胸と文脈を読み解くチカラなのです。ですが、これを言うのには、自身がそれなりの暮らしをしていないと成立しないという事実。それも悲しいところです(笑。
ただ、文脈を読み解くということに注視すると、間違わない選択が容易になります。恋愛だってそうかもしれません、人間関係も。コンテクスト・リーディングができると、精神衛生上、大変宜しいかと思います。
さて、「コンテクスト・リーディング」という言葉、検索してみたら「アンケート用紙を最初から最後まで読んで、その人の心理等を読み解く」みたいなことで使われていたようですが、アンケートのような、個人が特定しにくいものだったり、主体性の曖昧なものに対して、文脈を求めるのはどうかと思います。読むのは個人の心理であって、コンテクストと呼べる程のものではない気がしました。私の心理の文脈を読んでみてください、とは言わないですものね。
相談の中でよく感じるのが、相談者の「文脈」を読む感覚の有無です。
どういうことかと言いますと「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話しです。
ある事柄が起きて、全く関係ないところに影響が出ることもある。みたいなことですが、最近ではこじつけの意味にも取られるとか、真逆じゃないか。おかしい。
さて、一橋大の楠木先生は、「ストーリーとしての競争戦略」の中で、「連続する因果関係」を「ストーリー」と呼びました。「ビジネスの成功例はストーリーになってる」というのです。ええ、当たり前だよね。と思ったらアウト。ちょっと言い換えてみましょう。
「ビジネスの成功例は、どれも連続する因果関係に基づいている」
と言われたらいかがでしょうか?
私もこの本を読んでなるほど、と思ったわけですが、様々な企業の経営者の「選択」だけを見ていくと、ものすごく特別なことをしている、という感じではないのです。いってしまえば普通です。
こうなったら、こうなるから、ここをそうして、こうすると、ああなって、そうなれば、こうなるから、よし、こうしよう!みたいなことでしかありません。
経営者に共通しているのは、少しばかりの度胸と文脈を読み解くチカラなのです。ですが、これを言うのには、自身がそれなりの暮らしをしていないと成立しないという事実。それも悲しいところです(笑。
ただ、文脈を読み解くということに注視すると、間違わない選択が容易になります。恋愛だってそうかもしれません、人間関係も。コンテクスト・リーディングができると、精神衛生上、大変宜しいかと思います。
さて、「コンテクスト・リーディング」という言葉、検索してみたら「アンケート用紙を最初から最後まで読んで、その人の心理等を読み解く」みたいなことで使われていたようですが、アンケートのような、個人が特定しにくいものだったり、主体性の曖昧なものに対して、文脈を求めるのはどうかと思います。読むのは個人の心理であって、コンテクストと呼べる程のものではない気がしました。私の心理の文脈を読んでみてください、とは言わないですものね。
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